久しぶりの風景印です。
平成の大合併では、歴史的な地名があちこちで消滅し「なんだかなぁ・・・」と暗い気持ちになりましたが、保谷市と田無市が合併して「西東京市」に決まったと聞いた時には、もうビックリ。
(誕生しませんでしたが「南セントレア市」が提唱された時には、もっと驚きましたが・・・)
保谷という地名は、寛永16年(1639)には確実に存在していた地名で、恐らく中世まで遡ると考えられることから、もっと大切にしてほしかったですね。
その旧保谷市がらみで、下保谷二郵便局の風景印です。
今はベッドタウン化した旧保谷市ですが、リーフの地図では畑と桑畑に囲まれた下保谷村(赤印)。
これは、明治28〜30年に調査された「東京郵便電信局地図」からのものになります。

風景印に描かれたのは、正面に天神社、右に題目塔、左にキキョウの花。

面白いのは、右側に描かれた題目塔なのですが、実際はリーフ上の写真のように大小の2基があり、風景印に採用されたのは小さい方だけ。
小さい方は安永2年(1773)、大きい方は安永9年(1780)の建立で、どちらも下保谷村の村民が村の大願を祈念したもので、日蓮宗の題目が刻まれていることから、下保谷村が日蓮宗を中心とした村であったことがわかります。
この碑が存在する場所が、正面に描かれた天神社の境内。
もちろん菅原道真を祭った神社なのですが、そこに日蓮宗の題目塔があるわけで、昔、歴史の時間に習った神仏習合をそのまま、今に伝えています。