複雑なオーストリア切手

一般的な日本人の中で、オーストリアは馴染が有るようで無いような、ビミョーな雰囲気の国ではないでしょうか?
周辺のスイスやドイツ、フランスなどは多くの日本人観光客が訪れますが、オーストリアとなると途端に少なくなると思います。

カタログコレクションレベルでオーストリア切手を集めていると、日本切手では経験できない、複雑な切手史を経験できます。
例えば、第2次世界大戦前後の時期に限っても、それを整理すると下の画像のようになります。

1937年12月12日発行の2枚の切手。
これはクリスマス切手なのですが、この切手が戦前のオーストリアが発行した最後の切手になります。
この切手が発行された翌年、オーストリアはドイツに併合され、国は消滅してドイツに組み込まれてしまいます。

1938年3月12日、午前8時にドイツ軍の進駐が始まり、翌13日に併合。
もちろん切手もその影響を受け、4月4日からドイツ切手が導入されます。
手持ちのオーストリア切手は、1マルク=1.5シリングのレートで9月30日まで使用できました。

戦争がドイツの敗戦で終了したことは言うまでもありませんが、1945年4月13日にソ連軍がウィーンを占領。
その後、ドイツと同様に連合国によるオーストリアの分割占領が始まります。
その時にソビエト占領地区で発行されたのが、画像の「ソビエト地区」とした切手。
昔から切手普及書に、ヒトラー抹消切手(檻に入れられたヒトラーなどと称して)が紹介されることがありますが、それがこの切手になります。
本のキャプションで「ソビエト地区」と書かれることが無かったりしたので、オーストリア全土で使われた切手と勘違いされることも多いようです。
ソビエト地区に対して、英・米・仏占領地区では、右の郵便ラッパ図案が発行されています。

こうしてバラバラだった発行体が統一されたのが、1945年11月24日から発行が始まった画像一番下の「風景シリーズ」。
郵趣サービス社発行の「図入りオーストリア切手アルバム」も、この切手から採録されています。
全土統一の切手として発行されたものの、まだ占領統治という性格に変わりはなく、それは1955年5月15日の国家条約調印まで続きました。

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