画像は、朝鮮限定で使われた標語入り機械日付印で、一般的によく見るものです。

左は「銃後の/まもりも/内鮮一体」で、釜山局の昭和13年4月30日。
右は「内鮮/一体は/国語から」で、平壌局の昭和18年6月30日。
「銃後の・・・」の方は昭和12〜17年の5年間の使用ですが、「内鮮・・・」の方は昭和7〜18年の使用ですから、実に11年間もの長期にわたって使われていました。
この「内鮮」とは、もちろん内地(日本本土)と朝鮮のことで、この「内鮮一体」というのは、日本側の都合による勝手な言い分であることは、皆さんもよくご存知のことだと思います。
この頃は、朝鮮は日本の一部なので「朝鮮人」として区別する理屈はないので、「朝鮮人」と呼ばずに「半島の人」とか「半島人」と呼ぶことが推奨されていました。
ところが、一般民衆の中では「内鮮一体」は進まず、やはり日本人は日本人だし、朝鮮人は朝鮮人だったのです。
明治時代の日清戦争に日本は勝ち、一般民衆は清(中国)を日本よりも格下と見なす風潮が広がりました。
そして朝鮮はというと、その清の影響下にあった国。
つまり、格下の清(中国)よりも、更に格下とも言える見方を数十年にわたりされ続け、日本人の間に蔑視という形で続いたわけです。
この「内鮮一体」の標語印を見るたびに、モヤモヤ感が残ります。