小浜→大阪、当日逓送

僕が子供の頃、郵便配達は午前と午後の2回ありました。
それがいつの間に1日1回に減り、休日配達も無くなり、今度は土曜日も無くなるそうです。
あっ、これ普通郵便の話です。

収集家ならよくわかると思うのですが、明治時代の使用例を見ていると、逓送が意外と早いなと思うものに出会います。
例えば下のリーフ、若狭の小浜から大阪へ宛てたものなのですが、大阪局には差立当日に着いているのです。

下の画像は、消印部分のアップ。
左の小浜局の抹消印は「3月30日」。
そして、右の大阪局の配達印は「明治18年3月30日り便」です。

どのような逓送方法と経路かというと、以下のようになります。
小浜〜(脚夫)〜今津〜(湖上汽船)〜大津〜(鉄道)〜大阪。
それを、地図上に示したのが下の図。

このような使用例は、配達印からバックしながら考えるのがわかりやすいのです。
大阪局の「り」便は、実際の最終配達である「と」便(19時15分)以後のものに押され、「ち」と「り」便があり、その配達は翌日の早朝5時30分になります。
この「り」便に該当する大津からの列車は、大阪着22時17分で、大津の発車時刻は19時45分。

今津に寄港する塩津発、大津行きの湖上汽船は10時と19時の2便がありますが、大阪に同日着が可能なのは10時発のみ。
残念ながら今津発の時刻は不明ですが、塩津〜今津間は湖上経由で20km。
当時の汽船は時速20km程度なので、所要1時間として、寄港中の時間を入れると11時半前後に今津出港と考えられます。
その後、幾つかの港に寄りながら大津へ夕方に到着し、19時15分発の列車へと積替えられます。

小浜から今津までは約30kmの道程ですから、小浜を朝発の脚夫による逓送で今津に向えば、先に述べた汽船便に十分間に合うことがわかります。

配達を別にすれば、小浜から大阪まで当日に逓送が可能であったスピードには、ちょっとビックリしますね。
しかも、朝の5時半から配達が始まるのですから、考えようによっては当日配達と同様とも言えると思います。
恐るべき、明治の郵便。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *