かつおつり50銭(2)

画像の表は、「かつお釣り50銭」と新昭和切手、産業図案切手の関係を時系列で整理したものです。

郵便料金は、昭和22年4月1日の改正で第二・三種が50銭になり、これに対応する形で第三次昭和切手の「採炭夫50銭」が多く使われるようになります。このうち三種便は入手に苦労しますが、二種便なら一般的です。
この料金は意外と長く1年以上も続き、そうした中で無目打・無糊だった「採炭夫50銭」に目打を入れ、糊も引いた切手が昭和23年3月に突如出現。これを収集家は第2次新昭和切手に分類しています。

逓信省では、昭和22年度中から通常切手の新規更新を行うために準備を進めており、その流れの中で技芸官と事務官を静岡県御前崎に派遣して「かつを釣り」の取材を行っています。
取材の具体的な日程は不明ですが、近海物の一本釣りなので、僕は夏頃だったのではないかと想定しています。
そして、この時の取材から得られた図が、後に「かつお釣り50銭」切手となりました。

そうした事前準備が進み、昭和23年5月13日に開催された逓信文化委員会で、普通切手の図案改正が議題に上がり、それを進めることになります。
この改正は結果として、同年10月16日に「紡績女工」として第一番目が発行され、我々が「産業図案シリーズ」と呼ぶシリーズに繋がります。

本来ならば「産業図案切手」の図案候補であった「かつお釣り図案」が、大阪の大日紙業へ逓信省資材局長名で発注されたのは5月18日ですから、発注前の局内調整や起案を考えると、かなり前から発注準備は行われていたと考えられます。
このため、発注の5日前に開催された逓信文化委員会では「かつお釣り」切手は議題となっていなかった可能性が極めて高く、委員会と「かつお釣り」は無関係と考えられます。

このような流れで発注された「かつお釣り」切手ですが、具体的な日にちは不明なものの6月末〜7月初頭に第1期納入分の印刷が完了しています。
ですが、ほぼこれと同じタイミング(日付不明)で理由の説明も無く製造中止の電報が入り、印刷は中止に。
そして、7月10日に郵便料金が改正され、二種および三種ともに50銭から一気に2円へと大幅に値上げとなり、50銭料金は日刊紙や点字、農産物種子などを除いて消滅。

その用済みとなった完成品ですが、100シートと250シートの官封にして、逓信省から派遣されていた管理官が官封毎に検査印を押して、資材局の倉庫へ送り出しています。
受領した資材局では、しばらく後に官封のまま静岡県の製紙会社へ送り処分しています。

「かつお釣り50銭」切手の発行中止については古くから、
(1)大日紙業の社長が在日朝鮮人だったため。
(2)発注を巡り、逓信省内の職掌分担で大きな問題となった。
(3)発行に対してGHQの許可を得ていなかった。
の三点のどれかが発行中止の理由であると、多くの文献で紹介されてきました。
ですが、果たしてそうなのでしょうか?
先に、昭和23年7月10日の郵便料金改正について紹介しましたが、この改正により50銭切手は極めて限定的な郵便料金にしか対応しなくなったため、わざわざ新切手を発行するまでの必要性が無くなったのではないかと、僕は考えるのです。
上掲の表で前後関係を見ると、この考えが最も合理的であると思えます。

さて、僕がこの切手を「不発行」であると考える理由ですが、
(1)発注が逓信省資材局長名であり、発注書を確認すると公文書の形態が整っている。
(2)逓信省から大日紙業に製造監督のため、管理官2名が出張している。
(3)派遣された管理官は、必要に応じて検査印を押している。
(4)試刷りが逓信省へ送られている。
(5)官封が逓信省資材局へ送られ、受領されている。
(6)廃棄に当たっては資材局が、静岡の製紙会社へ発注している。
以上のように「かつお釣り50銭」切手は、発注から廃棄までが逓信省資材局の直接的なコントロール下に置かれたものであることから、「民間会社のシール」として片付ける性質のものではなく「不発行」切手として扱うべきものと考えています。

国内の主要カタログには採録されていない「かつお釣り50銭」ですが、そろそろ戸籍を与えても良いのではないでしょうか。

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