画像は、マーキュリーに整理した「日清戦勝記念」4種セットからの一部。
左の有栖川宮熾仁親王はソウルの欧文年号2字印で、右の北白川宮能久親王は函館の欧文年号2字印ということで、どちらも気に入っているマテリアル。

日清戦争は、1894年の7月から翌年4月の約9ヶ月間の出来事でしたが、近代日本が初めて経験した対外戦争。
戦闘行為には勝ったものの、後にロシアの南下を許すことになるなど、外交的には敗北であったと言えます。
日清戦争当時、既に日本の民衆の間では中国(清)を蔑視する風潮がありましたが、それと関連して「いつ頃から、日本は大陸への侵略を考えていたのか?」と考えた場合、意外と知られていないことがあります。
それは1879年(明治12)のことですから、日清開戦の15年も前で、切手で言えば旧小判切手が改色された年になります。
当時、参謀本部管西局長だった桂太郎が、海軍が福州を攻撃し、陸軍3個師団が直隷省に上陸して北京を占領するという作戦計画を立案しているのです。
この「日清戦勝記念」切手は、僕としては好きな切手の一つではあるのですが、集めていて素直に楽しめない切手の代表でもあります。
好きなんだけど、なんか引っかかる。
そんな切手です。