日本鉄道史関係のアルバムから、7100形蒸気機関車のリーフ。
7100形と言われても多くの形は「?」だと思いますが、「弁慶号」と言えば「それなら知ってる」となると思います。
7100形という形式称号は始めからのものではなく、明治42年に定められた鉄道院形式称号規定によるもので、通常この形式名を使っています。
当初、北海道の鉄道は開拓使の管轄であり、本州の官設鉄道がイギリス製を輸入していたのに対し、西部開拓で未開地での運転実績が高かったアメリカ製を選定していますし、そもそも鉄道技師がアメリカ人でした。
ですから、西部劇に出てくるような機関車なわけです。
上の切手は、セントビンセント・グレナディン諸島が発行した、いわゆる収集家用の黒い切手ですが、せっかく描かれているのですから仕方がありません。
完全に相手の策略に乗せられているわけで、ちょっと悲しいかもです。
下の小型シートは、皆さんもよくご存知のはず。
ところで、この7100形ですが大宮の鉄道博物館で実物を見ることができます。
下の画像がそれで、有名な「弁慶号」。
同形機関車が、1880、82、84、89年に2両づつ合計8両が輸入され、1889年輸入以外の6両には、それぞれ愛称が付けられていました。
「弁慶」は「義経」と一緒に1880年の車両に付けられたもので、他の年度には「比羅夫」「光圀」「信廣」「静」が付けられています。