転送、転送、また転送・・・

ボロボロの封筒。
見てくれが悪くて、コレクションには全く適さないカバーですが、性格が面白いので整理してあります。

付箋が邪魔して見えませんが、一応、菊切手の3銭が1枚だけ貼ってある普通の使用例。
リーフ上で説得性を持たせるために、付箋の下に隠れている切手部分の画像を取り込んであるので、取りあえずは菊切手のリーフっぽく見えるでしょうか。

明治時代のカバーを見ていると、国内外を問わずにホントに根気よく名宛人を探すべく、転送を繰り返している使用例に出会います。
下のカバーもそのような一例で、名宛人を探すべく付箋が12枚も順番に貼られているもの。

大きな流れで記すと、
1 後志・奥尻 明治37年4月11日→天塩・焼尻4月16日
2 天塩・焼尻4月29日→越前・敦賀5月3日
3 越前・敦賀5月9日→後志・奥尻5月14日
4 後志・奥尻5月15日→北見・鬼脇5月27日
の4行程になり、それぞれの地で毎日のように探し回り、その付箋に日付印が押されています。

例えば奥尻では
5月14日「市内一区不明」→同日「市外一区不明」→「市内二区不明」→「市外二区不明」→同日「北見・鬼脇へ転送」となっています。

この転送距離を単純な直線距離で測っても約2600キロになります。
たったの3銭で、この距離を1ヶ月半近くをかけて、転送し、そして担当区域を探しまわる。
明治の郵便は凄すぎです。

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