ドイツ・ライヒスバーン

「ドイツ・ライヒスバーン」と言うと、二つの意味があります。
一つは戦前の「ドイツ帝国鉄道」で、もう一つは戦後の「東ドイツ国鉄」。
ちなみに、東に対して西ドイツの方は「ドイツ・ブンデスバーン」と呼ばれていました。

画像の切手は、1935年にドイツが発行した「ドイツ鉄道100年」記念切手4種からの2種。
左は「フリーゲンダー・ハンブルガー」というディーゼル特急で、最高速度160キロ、駅間平均速度124キロという、当時(戦前)世界最速の列車として有名でした。
そして右は「05形式蒸気機関車」。ドイツ鉄道100年の1935年に作られた車両で、平地で195.6キロ、下り勾配で200.4キロという蒸気機関車の世界最高速度を記録しています。

この他にも、後部にプロペラを付けた変わり種車両「シーネンツェッペリン」が時速230キロを記録するなど、一見したところ当時のドイツは国策としての鉄道技術大国のように見えます。

ところが実際はそのようなことはなく、特にヒトラーの時代では航空機と自動車産業の育成に力を注ぎ、鉄道は二の次というのが実態。

そのことが、第2次世界大戦の時に足かせとなってしまいます。
それまで鉄道にほとんど無関心だった軍部が、兵站輸送のために急に口出しどころか、それを超えて実質的な運営にまで手を伸ばしてきたことから大混乱に陥ります。
まぁ、一言で言ったらズブの素人が列車運行に急に「あーせー」「こーせー」と言うのですから・・・。

太平洋戦争では日本の鉄道も手痛い被害を受けましたが、ライヒスバーンと比べるとまだマシな方だったと思います。
戦後の復興はドイツでは最初の2年間ほど停滞していますが、その原因の多くが鉄道被害から立ち直れなかったことによります。
もちろん工業も大きな被害を受けているのですが、実際は考えられていたほどではなく、壊滅的ではなかったのです。
ただ、物資輸送の根幹である鉄道(=ライヒスバーン)の被害が、余りにも大きすぎたのです。

それに加え、ソ連占領地域では鉄道施設を撤去して、ソ連国内に持って行かれてしまいっています。
それまで複線だった線路が半分撤去されて、剥されたレールはソ連国内へ。

この切手発行から10年後の「ライヒスバーン」は、力強い当時からは想像もできないほど貧弱な姿に変質してしまうのです。

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