画像は、新小判2銭の重量便で押されているのは米原・敦賀間の鉄郵印。データは、明治23年6月6日の上り1便で、下部に押された茶色の配達印は大坂局6月6日のへ便。つまり、同日配達というわけで、今ではとても無理な話し。 見やす…
カテゴリー: 日本郵便史
追放切手の使用例
2銭の新楠公葉書に、第3次昭和切手の5銭切手を1枚と10銭切手3枚を加貼した使用例。消印のデータは、北中山局で昭和22年11月23日ですから、この時の葉書料金は50銭。おそらく差出人の手元に、加貼した以上には手持ちの切手…
桜和紙カナ無し2銭黄の5枚貼り
四代目のブログでお見せしたことがある、下のカバー。書留の3倍重量便で10銭です。このカバー、封筒も切手も状態がイマイチ(イマニかも)なのですが、自慢できる点が2つ。 1つは、縦5枚貼りというところで、手彫切手はご存知の通…
旧小判2銭紫の4枚貼り書留便
小判切手で2銭と言えば、旧小判のオリーブと紫、そして新小判の紅。オリーブの方は初期の小判切手として、新小判の紅は誰もが知っている面白さがありますが、それに挟まれた紫はジミ〜な存在。ですが、普通の収集家にとっては多数貼りが…
勉強不足でした・・・
画像は、馬に喰わせる程もある極めて普通の小判はがき1銭の使用例。消印データは、抹消印が白抜十字印「東京 明治14年1月28日ち便」で、配達印が「越前・丹生・吉江 2月6日」です。ということは、逓送日数は9日。 で、実は今…
小浜→大阪、当日逓送
僕が子供の頃、郵便配達は午前と午後の2回ありました。それがいつの間に1日1回に減り、休日配達も無くなり、今度は土曜日も無くなるそうです。あっ、これ普通郵便の話です。 収集家ならよくわかると思うのですが、明治時代の使用例を…
見直したら面白い
画像の小判葉書、貼られているリーフを見たら2000年のものでしたから、今から21年前に整理したもの。テキストは、消印データのほかには横浜の停車場印が押されていること、停車場構内ポスト投函だったので到着局の東京で抹消された…
書留引受表記
画像は、どちらも横浜六角橋局で引き受けられた現金書留。左は昭和38年10月3日で、右は昭和40年12月22日の使用例ですから、約2年2ヶ月の開きがあります。この間、昭和38年11月1日に現金封筒の様式が変更されていますか…
汽船便
JPSの鉄道郵趣研究会で、明治10年代半ばの東京から関西方面への逓送方法について、ちょっとした話題がありました。当時の東海道で鉄道が開通していたのは、東京口では新橋・横浜間、大阪口では神戸・大津間のみで逓送方法は次の3通…
第1次新昭和・1円50銭
第1次新昭和切手1円50銭錦帯橋。昭和21年11月20日の発行で、発行目的は2kgまでの小包料金ですが、そのようなものは無い物ねだりなので、自分としては下のリーフで満足。 発行からはかなり経った昭和26年5月30日の使用…