調べものがあったので、昔刊行されていたJAPEXの入賞作品集を書庫から持ち出して物色。
幸い30分ほどで目的は終わったので、ついでに色々と見ていると、78年版のあるページで目が止まりました。
そこに記された作品のタイトルは「産業図案と昭和すかしなし切手」。
出品者は大井哲夫。
大井哲夫。
そう、1970年代後半に20代の若さで『郵趣』の編集長として活躍された方。
ただ、残念なことに31歳の若さで亡くなられました。
受賞は銅賞でしたが、まだまだ戦後の切手の評価が定まらなかった時代ですから、メダルの色はどうでも良いのです。
私が感心したのは、切手収集、なかでも「郵趣」というある意味で専門的な分野、つまり誰もが読むような一般大衆誌とは異なる分野の専門雑誌を編集する立場の人間として、自らもその本質を理解するべく収集し、切手展に出品していたということ。
やはり、名編集長と呼ばれていたバックヤードには、こうしたことも大きく影響していたのだと思います。
ちょうどこの時期『スタンプクラブ』の編集長であり、後に『郵趣』の編集長に就任する菅井洋氏も米国切手、特に航空切手を収集されていましたね。