国鉄根岸線開通と磯子

画像は、昭和39年5月19日に京浜東北線の桜木町以南である、桜木町〜磯子間が開通した時に使用された小型印。
実はこの日付、僕が生まれた20日後のものです。

今、桜木町から同線に乗ると、関内、石川町、山手を過ぎトンネルを抜けると、石油コンビナートが立ち並ぶ海岸へと出て根岸駅。
そして、海側に立ち並ぶ工場群を見ながら磯子へと至ります。

下の地図は現況ですが、根岸線の線路も含めて海側は全て昭和30年代初期以降に埋め立てられた土地になりますが、その埋め立てに先立ち地元から埋め立てと根岸線建設反対運動が起こっています。

下の地図は、埋め立ての始まる直前の昭和31年のもの。
上の現況図と比べると、様子が一変しているのがよくわかると思います。
元々、磯子地区には山際に沿った道路に桜木町方面から延びる市電が6、8、13の3系統が来ていました。

この根岸線用地を含んだ埋め立て地ですが、昭和31年図を見てもわかるとおり屏風浦という、風光明媚な名前が付いています。
昭和8年に横浜に生れ育った私の母は、子供の頃の夏には市電に乗って屏風浦へ海水浴に行くのが楽しみだったそうです。
その遠浅だった海を埋め立てて、今のコンビナートと工場が立ち並ぶ姿になってしまったわけ。
屏風浦という名前は、今では京浜急行線の駅名で知る程度になってしまいました。

根岸線は、その後も延伸を続け昭和45年に洋光台、48年には東海道線大船駅まで延びて完成しました。

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