今までにも、何度かお見せした余剰マテリアルによる「なんちゃって郵便史」。
そのアルバムから、今日は大連です。
大連は、日露戦争によるポーツマス条約(明治38年9月)の結果、関東州租借地となり、その中心都市となります。
画像の使用例は、自販機のジュースより安く買える銘つき分銅葉書で、消印データは「大連/13. 1. 22」。
ご覧の通り大正13年の使用なのですが、なぜか関東庁告示では、この波形機械印の使用は大正15年5月1日からとなっているのです。
つまり、大連局では告示よりもだいぶ早くから使用していたことになります。
この大連局の位置ですが、下の画像の青枠で囲ったところで、郵便局から見て斜め左下にあるのが満鉄大連駅、上方(画像の範囲外)が港の埠頭方面になります。
上方には線路が枝分かれして沢山記されていますが、埠頭への貨物ヤードになります。
このように大連郵便局は、満鉄の駅にも、港へも近く、よい場所に立地していたのがおわかりになると思います。
ところでこの大連局ですが、最初の場所が手狭になったので移転したとする記述をどこかで見た記憶(書名などは失念)があるのですが、手元の地図を見比べると、元々は上の地図の半分の敷地(明治39年地図)だったのが、別の地図(昭和元年)を見ると隣りにあった区画を吸収し、倍の面積になっていることがわかります。
とすると「手狭のため移転」とは、なんだったのでしょう・・・。