『京都寸葉』第81号から

30年近くかけて集めた『京都寸葉』。
お陰様で、初期の60数冊を除いて終刊号まで揃えることができましたが、創刊号近くの極めて初期の号を入手するのは、限りなく難しいかも知れません。
同誌の評価については様々な指摘がありますが、私のような後学の者としては、その時々の郵趣状況を知る上で極めて重要な情報源となっています。

今日は、ちょっと思うところがあって戦時中の号を見直していたのですが、そこで「あれっ?」っと思ったことをご紹介しましょう。

下の画像は、昭和11年7月10日発行の「富士箱根国立公園」。
誰もが知る切手ですし、僕にとっては小学生の頃に憧れの切手の一つでもありました。
日本で初めてのグラビア印刷切手であり、製版は印刷局でしたが、印刷が民間の大日本印刷であったことも郵趣家の基礎知識として、誰もが知るものでしょう。

で、ここからが問題なのですが、確かに僕はいつの頃からかわかりませんが、「大日本印刷による製造」であることを知っていました。
まぁ、自然と身に付いた知識なので確認のしようはありませんが、小学6年の時に読んだ『日本切手とその集め方』には、そのような記述が確認できます。

下の『京寸』第81号は昭和17年1月1日の発行。
つまり、「富士箱根国立公園」の発行から5年半ほど経っているのですが、それでも
「この切手がわが内閣印刷局の印刷発行になるものであらうということは、誰も信じて疑ふ者がないであらうが、実はこれは民間会社の作品であるといったら驚く人が多からう、しかしそれは本当なのである。」
と記しているのです。

知らず知らずのうちに、知識として民間印刷であることを知っている私たちは、いつ頃からその知識が一般に知られるようになったのか考えることはないと思います。
そこで、今回、この記事により発行後5年半も経っているのに、このように書かれていることにビックリしたしだいです。

それともう一点。
『京寸』の記事を読むと、『日本切手とその集め方』で示されている「製版は印刷局」という記述とは齟齬があるように読めてしまうのですが・・・。
また『大蔵省印刷局百年史』第3巻に記された資材調達の日付を見ると、やはり「富士箱根国立公園」切手の製版に印刷局は設備的が間に合わなかったように受け取れます。
そうすると『日本切手とその集め方』で示された「製版は印刷局」という話しの出所は、どこなのでしょうか?
新たな疑問に遭遇してしまいました。

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