クリスピエール

フランス横浜郵便局の郵便史をライフワークとされていた松本純一氏は、在横浜フランス郵便局長アンリ・デグロンの居宅と墓についての実地調査を行い、その報告を『全日本郵趣』1978年7・9月号、『スタンプレーダー』1978年8月号、『全日本郵趣』1993年10月号の各号に記しています。

特に松本氏が2度目の訪問を果たした1993年の報告では、墓の状態が悪いことを記されていることから、常々居宅を含め状況が気になっていました。
自分もパリは度々訪れていたので、その気になればクリスピエールまでは行けたものの、怠慢と切手商巡りが忙しく果たせないままでいます。

そこで、ふと思ったのがグーグルではどうなのか?と。
クリスピエールはパリの西郊外に位置し、そこに向うにはパリから郊外電車でベルサイユへ。
そこからは、タクシーで向うのが一般的らしい。
下の地図で、左の赤丸がクリスピエール。
パリから近いのがわかると思います。

Googleマップより

グーグルアースで見たクリスピエールの村は下の画像で、左上の赤丸がデグロンの居宅。
そして右下の赤丸が、墓のある村の共同墓地。

Google Earthより

居宅を更に拡大すると下の画像になります。
赤の四角枠の部分はデグロンが住んだ当時からの建物で、その下に続く青い部分は、旧デグロン邸の庭を潰して1980年代頃に増築された部分です。
松本氏の1978年の調査時にはこの建物は無く、1993年の調査時には既に建てられていたことから、この間に増築されたことがわかります。

Google Earthより

デグロン邸をストリートビューで見ると、下のように見えます。
赤枠の部分が実際にデグロンが住んだ家で、青枠の部分が先に述べた増築部分。
この建物を見ると、デグロンが亡くなるまで使用していた状態のまま、現在でも残されていることが確認できます。
いやー、良かった。良かった。
実は、この建物は隣の家と同一のいわゆる棟割り造りで、デグロン邸の左側の茶色の建物と一体のもの。
つまり、一軒の長細い建物を2軒に分割しているのです。

Googleストリートビューより

これで、今でも家が当時のまま残されていることがわかりました。
では、墓の方はどうでしょうか?
下の画像が、村の共同墓地の拡大画像。
綺麗な長方形をした、周囲を塀で区画された墓域であることがわかり、入口は画像の下方にあります。
実は、松本氏は共同墓地内におけるデグロンの墓の正確な位置は記していません。
ただ、墓地内が6つの区画に分割されており、デグロンの墓は、そのうちの中心部にある旨を記しています。
確かにこの画像から6区画が確認できますから、デグロンの墓はまんなかの区画の大きな通路を挟んだ左右どちらかの区画にあるのでしょう。

Google Earthより

松本氏は、2回目の訪問時に1回目の訪問時との比較で「墓の碑文がほとんど読めない状態に劣化が進み、一部はひび割れを起こしている」という主旨の指摘をされています。
報文には墓の写真が掲載されているのですが、それを見ると墓石全体がカビに犯されているように見受けられます。
写真が小さく部分アップではないので、必ずしもそのように言い切れない部分もあるのですが、粗い写真からの印象と松本氏が記した状況を総合的に考えると、そのように推定されます。
仮にその推定が正しかったとすると、現在では更に急速に劣化が進んでいるものと考えられ、郵趣家としてはデグロンの墓をなんとか守りたい気持ちになります。

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