鳥15銭「落ち十」(2)

昨日に続いて、鳥15銭「落ち十」ネタです。
この超有名なエラー切手ですが、その発見の歴史は意外と浅く、戦後のこと。
相棒とも言える「書き十」が戦前から知られていたのと対照的ですね。

その「書き十」を発見したのは、ウッドワードで15銭「ロ」2版のリコンストラクション中に発見したのだとか。
そのことについては、1923年(大正12)刊行の『大日本及全属国の郵便切手』の中で触れられており、当然にその存在が予想される「落ち十」については、まだ未見であると述べています。
下の画像はウッドワードの原本からのものですが、” THE RETOUCH” という項目の中で、その事について触れています。

戦後の昭和31年1月発行の『関西郵趣』80号(下画像)に「鳥十五銭書十について」を執筆した市田左右一氏も、この時点での現状を「十の抜けた同品は未発見であるが絶対になかったとも云えない主張に肩を持ち度い気持ちになる」と記しています。

ところが、戦前に「落ち十」を記録した人がいました。
それは大柴峰吉氏で、『日本郵便切手詳解』の中で記録しています。
ただし、いつ、どこで、どのようにして確認したのかなど、肝心な事が記されていなかったので、郵趣界では黙殺されていました。
大柴氏の記述の真偽のほどは、いかがだったのでしょう?
それは大柴氏にしかわからないことですが・・・。

そのような状況の中で、林易氏によって初めて公式に記録されたのが『切手趣味』61巻3号で、昭和40年9月のことでした。
それが、下の画像の記事です。

公式に初めて記録された「落ち十」として、この記録は重要な報文になります。

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