水道橋駿河台

今日は、5月5日。
「端午の節句」ということで、2007年に発行された「江戸名所と粋の浮世絵シリーズ」第1集からの1枚。
広重の『名所江戸百景』から「水道橋駿河台」。

画面前面に描かれた、大きな「こいのぼり」が大迫力。
また、遠方の数ヶ所にも描かれていて、季節感あふれる5月初旬の江戸の風景です。
ところで、描かれた「こいのぼり」が、今とは違いますね。
画面では3ヶ所で泳いでいますが、どれも黒いのが1匹。
つまり、真鯉ってやつだけ。
現代人の感覚からすると、「こいのぼり」は少なくとも真鯉と緋鯉の2匹はいるはず。
それどころか、5匹、6匹と繋がっているのを見たこともあります。
ですが、「こいのぼり」の歴史を辿って行くと、明治中頃になってやっと緋鯉が出てくるのです。
ですから真鯉1匹で、この絵は正確というわけ。

印面下方に見える川は神田川で、そこに架かる橋は水道橋。
水道橋の向こうには駿河台の武家屋敷が描かれ、遠くに富士山がクッキリと見えます。
神田川と武家屋敷の間に緑色で草木が表現されていますが、今はここに中央線快速や総武線各停が走っています。

嘉永年間に刊行された尾張屋版切絵図に、関係ヶ所を記したのが下の図です。
ちょうど神田川付近が他図との境目なので、端っこで見難いですけど勘弁してください。
赤矢印のちょっと下(地図の欄外)の所から、矢印の方角に神田川の対岸を水道橋を挟んで描いたもので、奥に武家屋敷が建並ぶ様子が切絵図からもわかります。
ちょうど、切絵図の下端に神田川に沿うように道路が半分だけ見えていますが、これが現在の外堀通りになり、広重の絵では右下隅に数人が往来する様子が描かれています。

この絵とは直接的な関係はありませんが、広重が描いた地点のすぐ後ろには神田上水が神田川の上を横断する掛樋があることが、この切絵図からわかります。
この画面に掛樋まで描き込むと、煩雑な絵になるので無くて正解だとは思いますが・・・。

広重の写生地を現在の地図に記すと、下図のようになります。
切絵図は南が上なので、位置関係は逆。
ちょうど都立工芸高校の敷地内あたりから、斜めに水道橋を見た感じですね。
絵を見ると、やや高い位置から今の外堀通りを見下ろすように描かれているので、ちょうどこの辺りが本郷台地の縁辺部で、その高い位置から見下ろす感じだったのでしょう。

それにしても、今にも泳ぎ出しそうな大きな鯉を大胆にも前面に出した作品は、切手という小さな印刷物との相性もバツグンです。

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