1966年発行の国際文通週間「隅田川関屋の里」。
題材は、誰もが知ってる北斎『富嶽三十六景』の1枚です。
「関屋の里」がどの辺かと言うと、『江戸名所図会』によれば木母寺(現墨田区)から牛田村の隅田川沿い一帯を指していることがわかります。
今で言うところの足立区千住関屋町・千住曙橋、墨田区住田5丁目付近です。
切手を見ればわかるとおり、湿地帯を思わせる草地の中に1本の道が走り、遠くに富士山が見えます。
ここで描かれている道は、掃部堤(かんもんづつみ)と呼ばれる、元和2年(1616)に石部掃部介によって作られたもので、下の地図の赤線がそれです。
この地図は、明治42年の1万分の1。
上から下に走る鉄道が、現在の常磐線で上の途切れる部分が北千住駅になります。
北千住駅から大きなカーブを描いて東へ延びる鉄道が東武鉄道スカイツリー線。現在ある京成線はまだありません。
この段階でも、掃部堤が北斎が描いたような湿地帯の中であったことがわかると思います。
絵の方向から見ると、北斎は掃部堤の北側から南西方向を描いたものと思われます。
さて、それでは現在ではその辺がどうなっているかというと、下の地図がそれで、広めにはなっていますが、ほぼ上の地図と同じ構図で載せてあります。
地図上の赤丸の道路標示の道が掃部堤を踏襲している道路になり、周辺はアスファルトとコンクリートジャングルで、当たり前ですが以前の面影は全く残っていません。
物好きな方には現地に行って「あー、こんなところなんだ」と思っていただければ、それで良いかと。
明治42年の地図では、江戸時代からの道が良好な形で見ることができましたが、「じゃあ、北斎はこの道のどこで描いたの?」となると思うのですが、実は全くわかりません。
ヒントになりそうなのが、あることはあるのですが、実際は全く役に立たないのです。
それが下の画像です。
切手の右端の部分なのですが、拡大すると描かれているのは高札場。
掃部堤の面して高札場があったことが、この絵からわかるので、単純に考えれば高札場跡が残っていればピンポイントで特定は可能なのですが・・・。
足立区内には数ヶ所の高札場跡が残されているようですが、残念ながら掃部堤に面するものは残されていません。
切手に描かれた関屋の里。
最寄り駅は京成線の関屋の里か、東武線の牛田駅。
ソラマチの郵政博物館の近くなので、ついでの時に歩くのも悪くはないと思います。