戦前の郵趣界のことを調べる基本文献の一つが『切手趣味』のバックナンバー。
『郵楽』とともに興味深い記事が多く、なかなか有益です。
その『切手趣味』第12巻1・2号(昭和10年7・8月)に、興味深い表題の記事が掲載されています。
昭和10年から見た、日清・日露戦争の頃と言えば、30〜40年前のことですから、今から見れば、昭和50年代後半から60年代にかけてを振り返るような感じです。
明治時代の日本の郵趣界はまだ黎明期で、切手を輸入どころか、ドンドン輸出していた時期。
よく話しに出るのが、紙屑商から封筒を引き取り、切手の部分を切り取って束物とし、海外の切手商へ輸出していたことですね。
この話しも本文で出て来るのですが、驚くべきことに、その輸出相手の大部分がドイツだったこと。
今までは、漠然とイギリスやフランス向けに輸出していたものと勝手に思い込んでいたのですが、実は大部分がドイツの商社や切手商で、そこからヨーロッパ各地へ送られていたそうです。
もちろん、これらは本物の使用済なのですが、東京の和田や神戸の広瀬などは自社製の「模造」「参考」品を作って、これも大量に輸出していました。
実は、これらは正直に「模造」「参考品」として輸出されていたのですが、受取側が転売する時に「模造」「参考品」としないで、本物として販売しちゃったわけです。
それに最初に気付いたのがイギリスの収集家や切手商で、最終的には外務省まで巻き込んで騒動になったとか。
日本国内で「模造」「参考品」が問題となるのは、1歩遅れてのこと。
その他、日本で最初の切手カタログのこと。
ウッドワードが、どのように店先で手彫切手を選別し購入していたのか。
外国の切手カタログが輸入され始めて、それがどのように商売に影響したのか。
など、座談会のメンバーが古くからの切手商なので、切手商の側から見た当時のことが語られており、収集家とは違った生々しい様子が伝わる、面白い記事になっています。