シエラレオネ・D51

画像は、シエラレオネが1991年開催の日本国際切手展を記念して発行したもので、もちろん収集家目当ての、いわゆる「好ましくない切手」の1枚。
描かれているのはD51形蒸気機関車で、国際切手展とは全く無関係なのは説明するまでもありません。

この「好ましくない切手」ですが、自分的には、ほんの少しだけ(3パーセント位)好感を持っています。

というのは、描かれたD51形が標準型と呼ばれるものではなく、煙突から安全弁の手前までを長いドームで覆った「ナメクジ」と呼ばれている初期のタイプだからです。

去年まで住んでいた福井県には敦賀機関区という大きな機関区があり、ここは一時期、北陸最大の機関区(後に金沢機関区の方が大きくなります)でもありました。
この機関区が担当する区間には、「柳ケ瀬越え」と「山中越え」という2つの大きな山越えの難所があり、これが北陸本線の輸送力を高めることが出来ない最大の原因であったわけです。

この状況を少しでも改善するために、D51登場と同時に敦賀機関区に配備を進めました。
この時のものが「ナメクジ」形のもので、切手と同じタイプなのです。
敦賀機関区には、D51のファーストナンバーである1号機(現在、京都鉄道博物館で保存)も当然配備されていたわけで、もしかすると切手の図案を描くのに使われたモデルがそうかも・・・なんて勝手に想像しています。

昭和30年8月には、敦賀機関区には37両のD51が配備されており、これは単一形式では、東京機関区のEF58と並び最多両数でした。

福井に住んでいた頃は、当時、蒸気機関車の整備を担当した方、機関士だった方、機関助士だった方に多くのお話を聞かせていただきました。
そんな方の所に行く時には、決まってSL切手のリーフを持参して話しの合間にお見せすると、色々なところに話しが飛んで行きとても有意義でした。
ある方に、満州切手の「あじあ」号の切手を見せた時には、なんと、その方は南満州鉄道で機関助手をされていたとか。

鉄道切手が、仕事にけっこう役立ちましたね。

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