戦時下軽井沢の切手商

毎年訪れる軽井沢。
4、5日滞在する中で、軽井沢時間と言いましょうか、時計のいらない、ゆっくりとした時間を家内と2人で過ごします。

アウトレットでの買い物、お気に入りのレストランで軽井沢産のキノコ料理に舌鼓を打つ。
そうした俗っぽいことも目的の一つなのですが、いつの頃からか興味を持ったのは古い別荘建築や、別荘地としての軽井沢の歴史。

軽井沢の別荘地区には、戦前に建てられた建築史上貴重な建物が数多く残っているのですが、近年取り壊されるものも多く、極めて重要な建築物として保存活動も行われていた三井家別荘も、新しい所有者である中国人により解体前の調査申し入れも聞き入れられず、とうとう消滅してしまいました。

そうした、別荘史や建築史に興味を持つ中で見つけたのが、戦時中に軽井沢へ強制疎開された欧米人の中に切手商がいたとうこと。
彼の名は、コンスタンチン・ドールネフ。
家族と一緒に軽井沢へ疎開しているのですが、この人、無国籍扱いとなっていたようです。
幸い、コンスタンチンさんが住んでいた住所がわかったので、探索に行ってきました。

訪ねて見ると、かなり広い区画の中に何軒もの別荘が・・・。
はて?
このうちどれが旧コンスタンチン邸なのか??
もちろん区画内は個人所有なので入れませんから、道路から内部をうかがうしかありません。

左側の大きな区画の奥の方に、旧コンスタンチン邸がある

仕方がないので区画周囲をウロウロ(他人が見たら、あきらかに不審者)しながらわかったのは、求める地番は区画内でも奥の方であるということ。
そして、1軒1軒の地番を数えながら、たどり着いたのが下の画像の建物。
かろうじて望遠で撮影できましたが、夏場には草木が更に生い茂って道からは見えなくなってしまうことでしょう。
そうした意味で、ギリギリのタイミングでした。
建築様式から見て、明らかに戦前の別荘建築。
地番と建築様式が一致するので、この建物に疎開切手商が住んでいたことは間違いありません。

草木の間から、かろじて見える旧コンスタンチン邸

ところで、子爵鳥尾敬光夫人の多江さんが、軽井沢での終戦直後のことについて、興味深いことを書き残しています。
「子供たちには薪集めをさせて、日給を与えた。子供だからわずかの額だが、息子は町へ行って切手を買ってきた。切手蒐集を始めた。町にそんな店がまだ開いているのも、子供には嬉しかったらしい」

もちろん、この切手商と切手商であるコンスタンチンさんが一致するのかは定かではありませんが、コンスタンチンさんは終戦後の自由な活動ができるようになった中で、別荘地の隔離から町の切手商へと変わった可能性も十分考えられます。

別荘地区

本記では、地番などコンスタンチン旧宅が特定される記述は、別荘という個人所有に関することなので、あえて記しませんでした。
また、お問い合わせいただいても、お答えはいたしません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *