40年前のJapex

今週は、いよいよJapexですね。
キリの良い数字として50年前というのがあって、これは1971年になりますから、さすがにまだ切手を集める前。
次の40年前は1981年で、高校生なので参観しています。
その時の出品目録が下の画像。

実は前年から会場が、現在と同じ都立産業会館・台東館に変わりました。
それまでは大手町の産業会館だったので、鎌倉からは行きやすかったのですが、浅草は行き難かったですね。
品川で、京浜急行に乗り換えて行ったと思います。

ハッキリ言って、この時の展示は川井氏のアフガニスタンの作品以外は、全く覚えていません。
今になって見返すと、外国部門だけで35作品もあります。
今年は7作品ですが、それでも「今年は多いな」と感じられるようになってしまった、今日この頃・・・。
ただし、この頃のJapexは1フレーム12リーフで3フレームまでですから、近年になってJapexが採用した16リーフとは、リーフ数の点では単純に比較はできません。

現在のJapexではワンフレームクラス以外では、初出品に限り1フレームからの出品が認められていますが、このお手頃感がどれだけ浸透しているのでしょうか?
初回1フレームでは、次回がいきなり3フレーム以上になってしまうのでキツイと思いますから、2フレームで初挑戦がいいと思います。

2フレームだと、32リーフ。
12リーフ時代の3フレームは36リーフですから、それより少なくてすみます。
32リーフで銀銅賞を目標にすると、取り組みやすいと思うのですが・・・。
いかがでしょうか。
幸いJPSには、支部や研究会という基礎的なまとまりがあります。
そうした集まりで、初出品に向けての仕掛けを作ってもらえると、切手展がより賑やかに、そして楽しめると思います。

Japex’ 81 の出品目録を見ながら、思ったしだいです。


40年前のJapex」への1件のフィードバック

  1. 〉展示は川井氏のアフガニスタンの作品以外は

    川井さんのライオンの切手ではなかったでしょうか。
    この切手は、消印の代わりに、切手の一部を破りとる ことになっていて、
    使用済みは今でいえば、みっともないコンディションの最悪なもの・・・・
    ということだけは、私も覚えています。

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