今日で郵便は創業150年。
ということで、150年前の今日、第1便の手紙が東海道筋をエッチラ、オッチラと脚夫により運ばれて行きました。
もちろん、途中でも集配をしながら。
下の左の画像は、その第1便によって運ばれた記念碑的な1通で、残されていたことが確率的に超奇跡的。
日本切手の中で最も有名な使用例なので、皆さんも展覧会で、あるいは本でご覧になったことがあるかと思います。
僕が初めてこのカバーを見たのは、1981年の東京国際切手展でのこと。
正直、その時のインパクトは山本謹一氏の竜文4種の大ブロック貼りカバーの方が上でしたが・・・。
このカバーが市田左右一氏の手に入った経緯については、西岡辰二氏『切手商売六十五年』に詳しく記されています。
同書の中で市田左右一氏は、それまで3月9日の使用例(それまでの最古使用例)を所持していたと記されていますが、そのカバーが画像右のもの。
3月3日のカバー(画像左)を西岡氏から入手したので、市田氏は9日のカバー(画像右)を予てより譲渡を希望されていた江崎恵海氏に譲られ、この辺の事情についても『切手商売六十五年』に記されています。
江崎氏は、手彫使用例の大収集家で『消印とエンタイヤ』誌専門に使用例の紹介をされていましたが、後にそれらをまとめて『墨人堂集英』として刊行されています。
もちろん、市田氏から譲られた9日のカバーも収録され、その入手経緯についても触れられているのですが、『切手商売六十五年』とそれを比べると、大筋では合っているのですが微妙な点で違っています。
はて?
どちらが正しいのでしょうかねぇ・・・。
同書をお持ちの方は、どこが違うのか比べてみてはいかがでしょう。