このカバー、「四代目郵趣手帖」で紹介したことがあるのですが、その時は仮貼り状態だったのを、やっと正式なリーフに整理して、めでたく小判切手のバインダーに収まりました。
入手後、5、6年(もっとかも・・・)は放ったらかし状態だったと思います。
抹消印データは、以下のとおり。
隠岐 西郷港 明治21年9月15日
ということは、丸一印の使用開始は同年9月1日なので、使用開始後15日目という初期使用。
もちろん、丸一印の初日印だって入手は可能ですが、隠岐という離島での使用ということで気に入っています。
西郷港局は、西郷局として明治5年7月に開局後、7年に目貫局へと改称し、更に8年10月に西郷港へと改称しています。
ところが、23年4月1日には最初の局名である西郷局へと3回目の改称です。
つまり、丸一印の西郷港局は21年9月1日〜23年3月31日までの1年半足らずのこと。
整理するのにちょっと調べたら、面白いことがわかりました。
初期のきれいな印影ですね。とても貴重なものだと思います。
ところで、この封書は西郷港から敦賀までどのようなルートをたどったのでしょうか?
先日隠岐汽船を調べたところ、明治時代は隠岐諸島の島前と本土を繋ぐのに蒸気船が使用されたことがわかりましたが、島後にある西郷港は美保関との間で月に8往復(明治18年時点)の船便があったようです。9月15日が出航日で当日中に美保関・境港に着いて陸路での逓送だとすると、19日に配達されたのは極めて速かったのではないかと思います。鳥取の海岸線から但馬・若狭を経て越前・敦賀に至るルートは結構難所続きだったのではないか想像します。
残念ながら中継印はありませんので、想像するしかありませんが、道が整備されていなかったことだけは確かです。明治時代の郵便脚夫達の活躍には頭が下がるばかりです。
永冨 さん
いつも、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、逓送経路に興味があるのですが、今のところ確定できないんですよね。
15日発で、19日到着は極めて早いと思います。
明治21年の郵便線路図を眺めながら、色々と思い巡らせているところです。