画像は、日中戦争に派遣された部隊の兵士から、金沢市宛に航空便で送られた軍事郵便。
航空便料金の30銭が貼付され「第六一野戦/15.7.23」の消印で抹消されています。
この時期の第六一野戦局は黄陂に所在していましたが、この黄陂というのは今話題の武漢の一画に位置しています。
そして裏面を見れば、ちゃんと金沢局の配達印があります。
そのデータは「金沢/15.7.26/前0-8」。
つまり、中国から金沢まで3日を要したわけですが、現在と比べてもこのスピードは極めて速いと言えます。
このカバーが「面白いな」と思ったのが、差立人、受取人ともにそれぞれが日付を書き入れてところ。
それを見ると差立人は7月10日で、受取人は7月26日と書き込んでいます。
差立人が記入したのが10日で、野戦局の日付が23日ですから、この間に13日もかかったことになり、郵便線路に乗る前の現地軍隊内でけっこう時間を要したことがわかります。
これは、主に検閲のためだったのでしょう。
それにしても、逓送時間より留め置かれている時間の方が4倍以上も長いとは、ちょっと可哀相な郵便物。
コメントの通りと思います。
当時、日本側の航空路線が上海から南京、漢口へ飛んでいたので、それに乗せるための航空指定でしょうね。