収集分野の一つに、軍事郵便というのがあります。
個人的にはあまり好きな分野ではないのですが、日本の郵便史の一部ではあるので、必要最小限の範囲で入手しています。
画像は、「第三軍 第一野戦郵便局 明治37年9月30日」の使用例で、カバーの下部に押されている丸二形日付印がそれです。
第三軍の野戦郵便局についてはわからないことが多いらしいのですが、中に残されている手紙を読むと「ダルニーにて軍務・・・」と書かれています。
ダルニーというのはロシアが付けた地名であり、日本の租借権確定により大連へと改名されています。
恐らく、この時点で第一野戦郵便局は大連に置かれていたのでしょう。

ところで、下記の『ある歩兵の日露戦争従軍日記』は、20年ほど前に興味深く読んだ本です。
新潟県の新発田から出征し、戦争が終わり新発田に帰着するまでの毎日を淡々と書いた従軍日記なので、興味を持たないと、人によってはつまらない本かもしれませんが・・・。

この日記を書いた茂沢氏は、とにかく筆まめでよく手紙を書く人。
もちろん軍事郵便で出すわけですが、多い日には3〜4通も実家や親戚、知人などに出しています。
また逆に、受取る数も同じように多い。
手紙はもちろんですが、知人や親戚が内地の新聞をけっこう送っていたことがわかります。
この送受信のシステムである軍事郵便は、読んでいて本当に不思議というか、よく出来ていたものだと本書を読んで感心しました。
駐屯地である特定の場所に滞在している時に、届くのは当たり前かも知れません。
ですが、日々所在地が変わる作戦行動中であっても、いつも通りに名宛人を手紙が追いかけて、きちんと届くのです。
これには、正直驚きます。
また氏は、几帳面に手紙の差立日と到着日を記しているのですが、それによるとだいたい10日〜2週間で受取っていることがわかります。
また、日記中に郵便のことは度々出てくるのですが、中には次のような興味深い記述が見られます。
明治37年6月16日「封書の上書きには、所属隊号と氏名以外を記すべからず」
明治38年9月20日「今日以後の書簡はすべて開封のまま差し出し、特務曹長の手を経て大隊の検査済みでなければ、郵便局で取り扱わず。また表皮に書くべき軍事郵便の銘は、朱書きまたは朱印のほかは一切取り扱わず」
明治38年12月1日「師団の野戦郵便局は四日に引き上げる」(ここで言う「師団」は第2師団のこと)
本書を読むと、差立通数に制限がなかった日露戦争の軍事郵便物が、現代に豊富に残されている理由がよくわかります。