画像は、新楠公料額改正3銭葉書に、料金別納印を押した5銭料金の葉書。
消印データは、福井・四箇浦局の昭和20年8月18日で、宛地は北支那河北省石門市。
そこに所在した、石門機務段で働いていた個人宛です。
「北支那」は言うまでもなく中国で、「機務段」と言うのは日本で言えば機関区に該当します。(正確に言うと機関区=機務段ではありませんが、それに近い)
「機務段内」と書かれているので、宛名の個人は鉄道の仕事に従事していたのでしょう。
文面を見ると、父親が息子に宛てた葉書であることがわかります。
8月18日という終戦直後の発信ですが、発信局では受け付けられたものの、送達途上で逓送不可能になり、熊本逓信局名の証示印が押され差戻になっています。

その印を拡大したのが、下の画像。

失礼ながら、この葉書の文面を読むと、前半は日々の生活が書かれていますが、後半は以下のようになっています。
・寺で12時にニュース(注:玉音放送のこと)で聞いた時は、感慨無量、何も話せなかった。
・「戦敗国」となったが、自分は老いて余命も短いから諦めもつくこと。
・若者の、これからの生活様相を思うと断腸の思いであること。
・今後は言語を慎み妄挙せず、国法に従い、民族性を発揮すべきである。
・帰国し、再会できることを待つ。
要点を記すと、このような内容が書かれています。
敗戦を知り、中国大陸に残された息子に書いた手紙が、送達困難により戻って来た時に、この父親はどのように感じたのでしょう・・・。