先日、家内と恒例のちょっと早いクリスマスを過ごしに横浜へ行って来ました。
泊りは、定宿のホテルニューグランド。
ニューグランドの今の地番は、横浜市中区山下町10番地ですが、この場所は旧居留地の地番では9・10番。
そうです。
旧居留地の地番は、今でも生きているわけで、街歩きをするととても面白く40年ほど続けていますが、横浜の街への興味は尽きません。
下の画像は、山下公園側から撮影したニューグランドの全景で、手前が1991年完成のタワー館、奥が1927年完成の本館です。
僕の兄が、1986年にここで結婚式をしたのですが、その時はタワー館の場所は平面駐車場でした。

この場所ですが、幕末から明治時代にかけては、本館の中心線辺りで二つの区画に分かれており、タワー側がフランス海軍病院で、写真奥側半分がP&Oの横浜支店になっていました。
その状況を、現代の地図と慶応4年の地図で対比したのが下の図になります。

左の慶応4年図で記された9番がフランス海軍病院で、10番がP&Oになります。
つまり、後年、この二つ区画が一つになりニューグランドが建てられるわけです。
ちなみに、フランス波止場は埋め立てられ山下公園の一部になり、その海側に今は氷川丸が係留されています。
さて、ここからが多少の郵趣ネタ(P&Oも郵趣的ではありますが)になります。
ニューグランドの裏側、居留地番号の31番ですが、ここには1865年(慶応元年)当時フランス領事館が置かれていました。
フランスは、イギリスやアメリカと同じく在日横浜郵便局を開設していましたが、それは領事館内に置かれていたため、言い換えれば居留地31番は初期の在横浜フランス郵便局の跡地とも言える場所になります。
夕方に散歩がてらにウロウロとしていたら、なんとフランス局があった31番が工事中で、その写真が下です。

正面の工事用防護ネットが掛かっている場所が31番。
写真の右端にチラッと見えるのがニューグランド(10番)の裏側壁になります。
つまりこの写真は、慶応4年図の11番角から31番を交差点をを挟んで写しているので、位置関係がおわかりいただけると思います。
工事現場では、鉄骨組み立て用のクレーンが入っていましたが、もう少し前の段階では地面の掘削をしていたと思われます。
もしかしたら、地中には当時の基礎の一部が残っていたかも知れません。
かなり、気になる事ではあります。
この31番にあったフランス横浜局ですが、翌年には領事館の移転とともに運上所向い側に移転しているので、31番に郵便局があったのは初期の短い間のことになります。
ですが、あのデグロンがここで局長として働いていたことを思うと、やはり歴史の中に記憶しておくべき場所ではないでしょうか。
蛇足ですが、慶応4年図では郵便局があった31番とその奥隣の61番は背中合わせの区画になっていますが、関東大震災以後の区画変更で、この間に道路が入れられました。
慶応4年図と現代図では、道路の本数が合わないのはこのためです。
下はオマケの画像。
ホテルから見た、みなとみらい地区の夜景です。
