画像のリーフは、三十数年前に作った(誤字もそのままです・・・)ビルマ占領地正刷切手4リーフからの1枚なのですが、最後のページになります。
この頃は、まだリーフに直接印字ができなかったので、出力したテキストを切り、裏面に糊を塗ってリーフへ貼るという手間がかかる手法でしたが、もともと字がヘタクソな自分としては魔法のような作り方でした。
さて、切手の方は上から3列が「風物図案切手」。
1943年10月に、有名な「農耕図案切手」に次ぐ通常切手として、東南アジア最大の印刷会社であったジャワ島のコルフ印刷で製造されたもの。
図案は「頭上に水がめを乗せて運ぶ少女」「働く象」「時計塔」の3種で、どれも戦時を感じさせない平和的な図案ですが、それもイメージ戦略の一貫。
下の一列3枚は、「シャン地方切手」にビルマ文字加刷。
これは1943年9月の日本とビルマの領土条約の結果、シャン地方による日本軍制が廃止され、ビルマ領となったことから、1944年11月に加刷を行いビルマ全土で使用可能としたもの。
加刷上部は「ビルマ国」で、下部は額面です。
これらの切手が発行および使用されていた1944年は、ビルマでは日本陸軍の無用な作戦であり、また無謀な作戦でもあったインパール作戦が行われた時期でもあります。
インパール作戦については、日本や英国で多くの著作が出版されていますが、その多くが記録書や非体験者が資料を用いて書いた概説書。
そうした中で、興味があれば読んでいただきたいのが、下記の『インパール作戦従軍記』です。
出版されたのは、僕が大学2年の時でしたが、書店に並ぶと同時に買い求めたものです。
本書は、インパール作戦に従軍した新聞記者が体験した記録が書かれているのですが、作戦失敗により敗走する時の様子が、克明に記されています。
実は、敗走の様子が当時の実体験として具体的に記された本は少ないのです。
なぜなら、敗走した兵士の多くが、生きて帰ることができなかったからにほかなりません。
また、インパール作戦を体験した人の手記が出されたりしていますが、その大部分は後方部隊、あるいは参謀などで、最前線からの撤退、敗走ではなかったりします。
そうした意味で、自ら最前線に従軍記者として進出し、敗走の実態を見た者の記録として、極めて興味深い内容を持っています。
そこに記されたのは、軍隊としての統制が全くない、単に個人個人が、一人の人間としてボロボロになりながら敗走し、ある者は発狂し、ある者は誰に顧みられることもなく死に、そして、かつては人間であったことを示すに過ぎない無名兵士の白骨化した死体。
最前線には全く食料が無く、自生してる草や、川で魚を獲る状態であるのに、敗走の途中で見た遥か後方に位置していた司令部には厖大な食料が備蓄されていた事実。
骨と皮だけに痩せ細り、杖を突きながら敗走する兵士に対して、血色も良く太った司令部員。
いつの時代でも、なぜか、その集団の底辺を支える者がもっとも醜い状態に置かれてしまうこと。
そうした、社会的矛盾や、もしかすると必然なのかも知れませんが、日本陸軍という異常者集団を通して現代社会を考えさせられる一書です。
また、本書は単なる敗走記録のみではなく、一方的な歴史の見かたに警鐘を鳴らしています。
例えば、ビルマ軍やインド国民軍に対して「日本の傀儡軍」という趣旨で説明される事がありますが、日本の側からすればそうなのかも知れませんが、彼らの目からすれば決して「傀儡」と考えてはおらず、独立した軍隊としてのアイデンティティを持ち、行動していたこともわかります。
南方占領地切手やビルマ切手、戦争や現代史に関わるテーマで収集を進めている方に、本書はぜひお勧めしたい一書です。