満州・鉄道1万キロ突破記念

満州切手は全体的に地味なものが多いですが、その中にあって知名度が高いのが画像の「鉄道1万キロ突破記念」(1939年10月21日発行)だと思います。
左は満州国内の鉄道路線図を描き、右は南満州鉄道(以下、満鉄と略)ご自慢の特急「あじあ」号を描いているのですが、今日の話題は左の切手。

大抵の人は「満州の鉄道=満鉄」と思われていると思います。
満鉄は、ご存知のように日露戦争の結果によりロシアから獲得した、東清鉄道南満州支線や付属炭鉱を経営するために作られた日本の国策会社で、鉄道に限定すれば、その後に幾つかの支線を敷設しましたが、基本的な部分において変わりありません。

ですから、広大な満州の中で、満鉄の路線というのはごく一部に過ぎないのです。
「じゃあ、その他はなに?」
となりますが、それは満州国鉄。
つまり、満州における主要鉄道は満鉄と満州国鉄が共存しているわけですね。

ですが、それには「ただし」が付きます。
なぜなら、満州国鉄の実際の運営は満鉄が事業として請け負っていたからです。

そこで、路線図を描いた切手にちょっと手を加えてみました。

路線図の上に白点が書き加えてありますが、これが満鉄線になり、加えられていない線が満州国鉄線になります。

当時、これらを「社線」(満鉄線)、「国線」(満州国鉄線)と区別しており、昭和20年の統計で「社線」は16路線で1449.1キロ、「国線」は54路線で10, 156.1キロありました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *