年末、12月30日に配達された『郵趣』1月号。
そこに掲載されていた「巻頭言」を読んで、いつもながらの「???」状態に。
特に、この著者の得意フレーズである「郵趣のダイバーシティ」は、全く意味不明な迷走であるとしか思えません。
「郵趣のダイバーシティ」。
という言葉は、二つの単語から構成されています。
「郵趣」と「ダイバーシティ」ですね。
そもそも、ここでわざわざ「ダイバーシティ」という、わけのわからないカタカナ英語を持ち出すことの必要性が、全く理解ができません。
まぁ、何も考えずに「かっこいいから」程度なノリだとは思います。
おそらく「多様性」を言いたかったのでしょう。
“Cultural diversity” =「文化的多様性」みたいな。
なぜ「郵趣の多様性」と言わないのでしょうかね。
日本語には「多様性」という短い一言で済む、素晴らしい言葉があるのに・・・。
そもそも、言葉の使い方からして疑問なのです。
著者は「郵趣のダイバーシティ」について、『郵趣』2021年8月号において、「郵便制度を研究する従来の郵趣に加えて、「切手を使う」「手紙で繋がる」といった楽しみも郵趣であると認識し」と記し、歴史的な郵趣用語である「郵趣」の意味を積極的に破壊することの宣言を行っています。
彼が言うところの「「切手を使う」「手紙で繋がる」といった楽しみ」という行為は、郵便利用者=ユーザーのカテゴリーに属するものであり、「郵趣」とは全く無関係なもの。
「郵趣」という言葉の定義は、古くから世界共通の認識として、切手収集家の間では定着しています。
僕が「郵趣のダイバーシティ」という極めて安易な表現を使うことに強い危機感を持っているのは、「郵趣」という、長い切手収集の歴史の中で定着している世界共通の定義を根底から破壊するものだと、考えているからにほかなりません。
「郵趣のダイバーシティ」と言うからには、「今までの郵趣の定義から外れるものまで含めて、郵趣にしましょう」ということだと理解しています。
だとすると、単にJPSが言っているだけのことなので、「郵趣」の定義に関しては日本は世界とは異なるガラパゴス化を進めるということになります。
つまり、欧米(世界と読み替えてもよいでしょう)で言われている「郵趣」に留まらない、独自の拡大解釈を行うということです。
郵政民営化後の積極的な切手発行政策やポスクロのブームに代表される、綺麗な切手、カワイイ切手が大好きな、いわゆる「切手女子」に代表される人達が多量に出現。
この人達は、考えようによっては「切手を集めている人」ではありますが、「郵趣家」ではありません。
ですが、おそらく、こういう人達の出現を受けての「郵趣のダイバーシティ」発言に繋がるのだと理解しています。
“Philately” 即ち「郵趣」を楽しむ人達を、”Philatelist” 日本語では「郵趣家」と呼びます。
このことについて、水原明窓氏は著書『コレクションへの道』「2 フィラテリストの条件」の中で、以下のように明快に述べています。
「切手を収集し、楽しんでいる人は、みんな ”フィラテリスト” と考えてよいでしょうか。そうなると、だいぶ異議がでるようです。(中略)切手に深い関心をもち、それをよく理解し、収集・整理するために、雑誌を読んだり、カタログをひもといたりして、つねに勉強している人たち(後略)」
これらの人達を「郵趣家」と定義し、そのためには、
「1.勉強をしよう」
「2.カタログを読もう」
「3.努力をしよう」
と記しています。
この見解は、世界中見渡しても決して特異なものではなく、むしろ一般的であり普遍的な見解であると言えるます。
日本郵趣協会は、郵趣家のための団体であるはず。
であるならば、第一義的には今の郵趣家が納得する方向性を示すべきでしょう。
少なくとも、僕の周囲には現状に見切りをつけて退会した人は多いですが、新規入会者はいません。
実は、僕は意外に思われるかも知れませんが、いわゆる「切手女子」を大切にしている方だと思います。
それには、もちろん危ない下心があるのですが・・・。
その下心とは「いつかは郵趣家に」とか「いつかはJPS会員に」というもの。
そして、結果はというと・・・・・全くのゼロ。
製造業で言うところの、歩留まりゼロで工場閉鎖です。
スタンプショウには、沢山のいわゆる「切手女子」がやって来ます。
中には、ポスクロのグループが会場でゲリラ的オフ会を開くほど。
それ以外にも、ジャペックスと比べたら一見して客層が違うことが一目でわかります。
入場は無料。
タダで郵趣家では無い、単なる切手好きへの大奉仕です!
仮に、こうした切手好きが郵趣家に近づき、JPS会員への予備軍的存在であるならば、出血大サービスも良いと思います。
ですが、その期待値どころか、現実的にその可能性は極めてゼロに近いと考えられます。
それを裏付けるのはジャペックス。
ジャペックスはコテコテの郵趣家向けイベントですし、入場料も馬鹿高いです。
そして、そこにはスタンプショウにあれほど居た切手女子は、皆無とは言いませんが、ほぼ見ることはできません。
この現象は、切手女子が郵趣について興味を持たず、入場料を払ってまで切手に深入りする意思を持っていない、ことの裏付けであると考えます。
中には「いやいや、切手女子は郵趣家の卵だから」、なんて思われる人がいらっしゃるとは思います。
そういう人に提案があります。
スタンプショウ会場で、切手女子に「あなたは郵趣家に興味があるか」「JPS会員になるつもりがあるか」とアンケートを取ってみてはいかがかと。
100人×開催日数で行えば、そこそこ現実的な答えが出てくると思います。
30、40人じゃ偏りが出る可能性があるので、最低1日あたり100人で。
僕は、「郵趣のダイバーシティ」を推進した結果、というのを見たことがありません。
2021年の夏に推進表明をしてから、既に3年半が経っています。
ぜひ、その成果というのを見せていただきたい。
JPSというのは、会員から集めた会費が運転資金の一部であるはず。
僕に言わせてもらえれば、会費を払っていた会員がそのメリットを全く感じずに退会。
その一方で、歴史的用語を愚弄するような勝手な拡大解釈をしたあげく、その成果がうやむや。
「郵趣家」と「切手好きな人」は、全くの別物。
そこを分けて考えないと、「日本郵趣協会の独自性」を見失うことになってしまいます。
って言うか、もう既に見失っているか・・・・。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
趣味の会だったにもかかわらず、税金対策で公益法人→公益財団法人にして、法人税を(一部でも)免除を受けようと考えたが、30年間で「郵趣」の読者が1/3になってしまった結果、今やそういう考えも取り込まないとJPSが立ち行かなくなったんでしょう。切手ばかり発行している郵政当局の姿勢も政策も影響して収集人口自体減って「中間層」がなくなり、ダイバーシテイ化どころか二極化してるのではないでしょうか。
作品集も出して、先日紹介された「出品ガイドブック」のようなものがあれば、減るのも食い止められる? PDFにして対価を支払ってもらい、ダウンロードできるようにするなど、かの著者も収集家なら、いろいろ手法を考えてもらいたいものです。
ブランクさん
今年も、よろしくお願いいたします。
「郵趣のダイバーシティ」と言いながら、それが結果に繋がっていない。
これが、一番の問題だと思います。
結果があって、JPSが活性化すれば良いのですが、全くそれが見られませんよね。
結果が無いのに、まともな郵趣家が犠牲になり、それに嫌気が差して見切りをつけて退会です。
鉄道友の会という趣味団体がありますが、ここはJPS以上に会員が少ないですが、王道な活動に徹しています。
立派な月刊誌を出していて、都内や大阪の書店で会員外にもばら売りをしているほどです。
こうあってほしいものですがね。
収集家ですら、最低でも年8400円の会費を払ってJPS会員になることに疑問を抱いているのですから、単に「切手が好き」な人がJPSに入会するとはとても思えません。「切手好き」を増やすことに異論はありませんが、収集家へステップアップさせるための方策が軽視されているように思えてなりません。ご指摘のように真に増やすべきは「収集家」であり、そのためにも「郵趣」の編集方針を伝統郵趣重視に戻してほしいのですが、今となっては無理なんでしょうか。
記事の書き手がいないのなら、昭和時代の「郵趣」の記事をアップデートして再掲載した方が、現状よりましなのではないか、と思えてしまいます。
え~~8400円もするのですか!!! 余程の利用価値と魅力が無いと入らないでしょうね。昔は「郵趣」を購読していないと情報もそうですが収集仲間から置き去りにされるように暗示されていたように思います。ある時、別に必要無いじゃんと気付き、以来ん十年お別れしています。色々集めて来ましたが今は狭い範囲での収集に絞っていますので、新たな情報も期待出来ないでしょうから、もう生涯入る事は無いでしょう。
A.M.さん
今年も、よろしくお願いいたします。
全くおっしゃるとおりで、単なる切手好きを郵趣家へとステップアップさせる方策が見えないのです。
北欧部会にはポスクロ女子がいるのですが、個人的に郵趣へ興味を持ってもらえる仕掛けを考え誘惑中です。
次回のミニペックスに、ポスクロ作品を作ってもらえるかな?という段階ですが。
JPSが公益財団法人になったときから、変わったというか変わらざるを得なくなったとおもいます。
公益財団としてのJPSの目的は、手元に正確な情報・文面はありませんが、
「ひろく郵便文化を普及させ・・・・」となっているはずです。
郵趣協会という名称ですが、郵便文化普及協会 ということになるのでしょう。
切手女子、かわいい切手だけを入手して、使う・・・・も活動範囲に入るのでしょう。
1965年頃から郵趣家として私は参加していますが、長年の付き合いの中での
変化に、多少の戸惑いはあります。
純粋の郵趣家のための団体であれば、公益財団法人にはなれないでしょう。
郵趣家の一人として、私は、JPSの利用できるところだけを利用していこうとおもいます。
三浦さん
今年も、よろしくお願いいたします。
協会の活動の中に、郵便文化を大切にして普及させるというのは、立派な仕事だと思います。
ただ、そのために長い歴史の中で合意されてきた「郵趣」という定義を歪めてはならないでしょう。
しかも、それをJPSのトップが平然と言うことの「危険さ」に危機感を持っています。
何事も曲げてはいけないスジがありますが、今やっていることは、そこを曲げてしまっていると感じます。
従来の意味での郵趣家が減り、ライトな収集層も取り込まないと持続は難しいと判断しているのでしょう。
切手を知らない人にスタンプショウは無料なこともあり、誘いやすいのですが、JAPEXは入場料もかかりますし、ライトな収集層には専門的、深すぎて見に来てよとおいそれと誘いにくいです。
集めて、研究して、発表(展示)してというのが本来の郵趣であり、ライトな層を取り込む努力が必要ですが、
その取り込みがどのようにしてすべきかが打ち出せてない気がします。
スタンプショウの切手展改編も実質的に出品料値上げで、新たな人間を取り込む気があるのか?、と疑問に感じます。
僕は女性を中心として、郵趣家ではない、単なる切手好きな人を多く知っていますが、じゃあ、それらの人がJPSに入会したり、郵趣家になろうとするかと言うと、ほぼ全員がそのつもりはありません。
これは、経験上から確実に言える事です。
なぜなら、確かに切手好きではあるのですが、我々とは異なるベクトルを向いているからです。
郵趣家の団体として、郵趣家に育てることは必要ですが、その成果が上がらないことに主軸を置いていることが問題だと思います。
多くの郵趣家が納入している会費の一部は、そうした活動に使われていることでしょう。
だとするならば、その成果を見せて欲しいのです。
仮に成果がなくて見せられないと言うのであれば、止めるべきことと思います。
なにしろ、現役の郵趣家がJPSにメリットがなくて未入会であったり、退会しています。
成果の上がらないことに無駄なエネルギーを消費するくらいならば、現役世代を大切にすることです。
スタンプショウは、もはや何が何だかわからない行事と言えましょう。
スタンプショウの理念とかを、真面目に考えているのか甚だ疑問です。
時代とともに郵趣の定義が少しは変化するのは仕方がないと思いますが、最低でもピンセット、ストックブック、カタログくらいは揃えていて、切手の扱いに気を配る人ではないと、価値観の共有は難しいです。
その最低ラインをすっ飛ばして、切手貼り絵やポスクロ(それら自体を楽しむのは個人の自由ですが…)を伝統的な郵趣と同じ土俵に上げられるとキモチ悪いです。
特に切手を切り刻んで貼り絵にする行為は、郵趣団体が率先して取り組むべきものなのでしょうか? そんな趣味を広めて、皆が切手を切り刻み始めたら、貴重な消印や定変が人知れず失われてしまうと心配するのはおかしなことではないと思うのですが。
最近はスタンプショウを観覧するたび複雑な心境です。一般の方へ郵趣をアピールする貴重な機会を無駄遣いしないことを願います。
スタンプシヨウで入会案内を配っているのを見たことありません。置いてあるだけです。時代が変わったとはいえ、会員拡大運動をやるつもりは無いのでしよう。組織としての存続はあと10年かなと思って
おっしゃる通りだと思います。
協会の運営に、以前にはあった野生味が全く無くなったと思います。