昨日、図入りリーフを紹介した「平和の女神」シリーズ。
今日は、使用例からの1リーフです。
75サンチームと1フラン75サンチームを貼って、パリ市内局から1937年9月23日に差出された、スウェーデンのマルメ宛。
左端の航空ラベルがアクセントで、消印もスッキリしているので割と気に入っています。
贅沢を言えば、マルメの到着印があれば良いのですが・・・。
その代わりと言ってはなんですが、裏面にパリ空港局の標語入り機械印が押されており、その標語は「航空便で返信時間を短く」。
1930年代はヨーロッパ中に航空路線が拡大する時期ですから、時代を象徴する標語でもあります。
この時期の外国宛書状20グラムまでの基本料金は1フラン75サンチームなので、加貼された75サンチームが航空便料金だと思うのですが、実は未確認。
その前の時期では、割増料金は50サンチームなので間違い無いとは思いますが・・・。
どうでしょうか??
それと未解決なのは、逓送ルート。
・パリ→アムステルダム→ベルリン→ストックホルム→マルメ
・パリ→アムステルダム→コペンハーゲン→マルメ
どの区間が航空便なのかも興味深いですし、これは全くの未解決です。
種まきの時代ならわかるのですが、この時代は全く不勉強でサッパリです。
そもそも、資料すら持っていない有様なので、資料探しから始めなくてはなりません。
こうして、知らないことを調べることも郵趣の楽しみの一つです。
逓送ルートの推測ですが、パリからストックホルム経由でマルメはあまりにも遠回りなので、ストックホ
ルムは経由しない可能性が高いと思います。
私の収集対象であるフィンランドから1930年代に差し出された航空便の場合、ストックホルムの中継印
とザスニッツ(Sassnitz)~ベルリンの鉄道郵便印が押されたものをよく見かけます。ザスニッツ、マルメ
の位置を考慮すると、パリからベルリンが航空便、ベルリンからザスニッツが鉄道、ザスニッツからマルメ
が船便と推測しますが、いかがでしょう。
いつも、ありがとうございます。
なるほど、そういう経路も考えられますね。
閉納扱いだったのかも知れませんが、中継印が無い悲しさです。
ご教示、ありがとうございました。