手彫切手の模造品は凹版が主流なのです

牧之原の風来坊のブログ「悪を斬れ!」の中に 「消印の問題~詐欺団の現在の収益のメカニズム」という、タイトルだけは勇ましいのに、中身がスッカラカンで何もないという笑える記事があります。
今日は、その記事の中から偽造切手について考えてみましょう。

彼は、その記事の中で
「明治期の参考品??たまに見かけるフレーズですが・・・
明治期がどんな時代であったか考えたらわかりそうなもの・・
(中略)
この時代、菊のご紋の入ったものを参考品などと称し作ったらどのような結果を招くか!
間違いなく極刑でしょうね
手彫印紙にも明記されています この印紙を贋造した者は厳罰に処す!と・・・」

全く知識を持たないのに、知ったかぶりで書いてしまうところが、なんとも彼らしい・・・。
彼は明治時代の手彫切手模造のことを、全くと言ってよいくらい知らないことが、この短い文章でも、手に取るようにわかってしまいます。

日本で模造切手の製作が行われていることを最初に紹介したのは、明治27年(1894)に発行された“Illustriertes Briefmarken-Jurnal” 21号です。
同誌によると、製作者は神戸在住の広瀬であり、精巧な手彫凹版であると記録しています。(ちなみに同誌は、その後ドイツ語圏で最大の郵趣雑誌に成長しましたが、第二次世界大戦中に廃刊となってしまいました)

明治時代には、何人かの模造切手製作者が国内に居たのですが、中でも最大手だったのが和田小太郎。
和田の製品も手彫凹版であり、仕事仲間として銅版彫刻師を抱え、手彫切手は一通りの種類を製作しています。
この和田の製品について『郵楽』第3巻4号(大正5年11月)に掲載された「日本模造切手の発行者」という報文に貴重な記録が掲載されているので、概要を以下に紹介します。
それによると「明治27、28年頃に神戸の切手店(広瀬)にて、竜切手以下の精巧な模造を印刷発売したところ、当時は今日のような切手を取り締まる法律がなかったため、何ら政府より干渉を受けることはなかった。
明治29年には、神田猿楽町の和田商店(和田小太郎)が、外手町在住の銅版師笠原に依頼し版を彫刻させ、本物と同じ凹版にて印刷して販売した。
日露戦争後に政府は、これらの弊害(模造切手)に気がついたので、これを禁止したものの、和田商店のみは従わずに製造を続けていたところ発覚し、銅版全てを没収された。」
以上が記事の概略です。

和田商店製模造切手 凹版印刷

広瀬や和田とほぼ同じ時代に、銀座三丁目に上方屋勝敗堂という、花札の販売で有名な店がありました。
ここも模造手彫切手の製造販売を行っているのですが、初期の頃には広瀬や和田と異なり石版印刷によるものを製作していたのですが、詳細はよくわかっていません。
ただ、製品には和田と同じ偽造消印を使っていたり、『大日本郵便沿革誌』の模造本、いわゆる『和田沿革誌』で、特約販売所に名を連ねるなどしているため、和田との繋がりが深かった可能性が高いと考えられます。

ここまでに、明治時代の手彫切手模造発行者のうち、国内業者の広瀬、和田、上方屋について紹介し、印刷方式が広瀬と和田が凹版、上方屋が石版であること、そして和田が最大手であったことを紹介してきました。

次に、海外における事業者の製品を紹介しましよう。
明治時代に海外で手彫切手の模造を行った人物には、スピロ兄弟とフルニエがいます。
スピロ兄弟は、ドイツのハンブルグに在住し各国初期切手の模造を行っており、明治8年(1875)には、早くも日本の手彫切手の模造品を製品化しています。

スピロ製模造切手 石版印刷

彼は「収集家のアルバムの空白を埋める」という名目で大々的に事業を行っていますが、その背景にはヨーロッパの収集熱の高まりによって、本物の切手が需要に応えるだけの流通に貧しかったことがあります。
そのため、収集家のアルバムには未入手の空白があるため、その穴を埋めるためには模造品でよいではないかという考えでした。
印刷は石版印刷で、用紙は和紙が入手できないので洋紙で代用しています。
また、消印には英領系模造品と同じ抹消印が使われたり、”YOKOHAMA” とあるべき綴りが”JOKOHAMA” と、ドイツ語綴りになっていたりします。

フルニエはスイス人であり、明治24年(1891)か明治25年(1892)から模造切手の製造を行っています。
この中には日本の手彫切手も含まれていますが、その数はスピロ兄弟と比べると圧倒的に少ないようです。
製造は、石版印刷でした。

スピロやフルニエの模造品は石版印刷であり、竜切手であっても洋紙に印刷されているため、真物との区別は極めて容易で、日本人収集家であれば間違うことはありません。

この時代のヨーロッパで “Album Weeds” という文献が刊行されています。
内容は、偽物切手を解説するためのもので、明治15年(1882)初版、明治25年(1892)増補第2版、明治39年(1906)全面改訂第3版を刊行。
この2版と3版刊行の間にヨーロッパへ日本製の模造品、主として和田の凹版製品が大量に流入して市場を混乱させています。
“Album Weeds” の著者は、第3版の日本の解説の中で、次のような興味深いことを述べています。
「近年、巧妙な凹版模造品が増えすぎて、その識別を紙上で伝えるのは困難である。そのため、やむ終えず内容は2版のままにしておく」
つまり、日本から流入した凹版模造品にギブアップというわけです。

こうした、戦前のヨーロッパにあふれ返った日本製凹版模造品に対する状況を知るのに適した文献として、当時ヨーロッパで刊行されていた世界カタログがあります。
例えば “Zenf” や “Yvert” では、日本のページにおいて、手彫切手に巧妙な模造品があることの注記を掲載し、収集家への注意喚起を行っています。
(”Zenf” は、現在刊行されていませんが、ドイツのライプツィヒで刊行されていた戦前の世界カタログの最高峰。第二次世界大戦後に東ドイツとなったため、没落してしまった切手商兼出版社です)

上記の解説で、戦前に国内で作られた手彫切手の模造品は、大部分が凹版印刷であったことが理解いただけたものと思います。

風来坊は、彼のブログの複数の記事で、なぜか「凹版模造は少なく、多くはオフセット印刷である」というような趣旨を力説していますが、現代においても現存する手彫切手模造品の主流は凹版印刷であり、オフセット印刷(石版印刷を含む)は極少数であることに変わりはありません。

実は私の手元には30数年かけて収集した手彫〜小判切手の模造品が千数百枚あるのですが、無作為に市場から入手したこれらの模造品を見ても、圧倒的に凹版の製品が多いのです。

和田商店製の模造切手とその拡大 赤枠の部分が拡大ヶ所 凹版の盛り上がりが顕著に見える(この画像はダウンロードすることにより、大きな画像で観察できます)

では、彼はなぜオフセットが主流であると真逆のことを言うのでしょうか?
それは、彼の凹版製偽物の手彫切手を、慣れていない一般収集家に安心して買わせる手段の一つなのだと思います。
つまり、凹版=本物、オフセット=偽物という単純なスタイルを、一般的な収集家を欺くための洗脳術に使っているのではないかと考えます。

さて、それと彼の歴史を無視した、信じがたい時代錯誤をもう一点。
彼は、
「明治期がどんな時代であったか考えたらわかりそうなもの・・」
「この時代、菊のご紋の入ったものを参考品などと称し作ったらどのような結果を招くか!間違いなく極刑でしょうね」
と主張を展開。

大正2年に菊切手偽造事件があったことは、収集家ならよく知った事です。
その菊切手と言えば、菊の紋章が図案の主題として描かれた切手で、それを偽造した事件です。
事件の解決は早く、関係者は全員が逮捕され、その裁判での結果、首謀者は・・・。
風来坊基準では「間違いなく極刑」。
だそうですが、実際は懲役5年が一人で、懲役4年が3人です。
このことは『郵便切手』4巻7号(昭和17年7月)に「切手偽造行使事件の判決書」として判決文が全文掲載されています。

また、先に解説したように、和田小太郎が警察の捜査を受けた際にも模造製作の原版は没収されましたが、風来坊が言うような極刑にはならず、その後も切手商を続けていたことは誰もが知るところです。

彼は、何一つとして調べず、全てを自分の頭の中の妄想で描くだけという特徴を持っています。
ホント、お勉強が嫌いなお人ですね。

そして最後にもう一つ。
風来坊は明治時代に切手の模造を行うと極刑になるから、そんなことは無かった的な妄想を書き、明治時代に製造された凹版模造を否定しています。
その根拠として、
「手彫印紙にも明記されています この印紙を贋造した者は厳罰に処す!と・・・」
と自信満々に・・・。

これは手彫証券印紙の印面に「此印紙扵致贋造者 可處嚴刑もの也」と書かれていることを指して言っているのですが、そもそも切手と証券印紙を同列に扱うという、信じがたい解釈。
このような発想は、こじつけのためには手段を選ばないという頭なのでしょう。
発想として、恐れ入りました。

そもそも切手と証券印紙では、同じ政府発行物でも性格的に全く異なります。
切手は郵便料金として、簡単に言ってしまえば手紙を運ぶための運賃のようなものです。
対して証券印紙は、税として国の運営に関わる国家財政に直結しているものとして、厳重に管理しなければならないもの。
見た目は同じ紙の証紙であっても、この二つの証紙は全く異なるレベルのものなのです。
つまり、証券印紙は切手よりも遥かに管理ランクが上位に位置するもの。
風来坊は、上っ面だけの比較でしか見ていないので、こうした信じ難いことを言い出すわけです。

こうして風来坊の戯言を見ていると、彼はどうしても「偽物は戦後のオフセットを主流」にしたくて仕方がないということを強く感じます。
きっと、そうしなければ彼の商売を進めるための物語に、重大な不都合が生じるからなのでしょう。
ですが、その妄想は、いま述べてきたことにより、彼の無知と悪意によって、ねじ曲げられたおとぎ話にすぎないことが、皆さんにも理解していただけたものと思います。

現在においても、市場に流通している模造手彫切手の主流は凹版製品であり、オフセット製品は極少数派なのです。

手彫切手の模造品は凹版が主流なのです」への4件のフィードバック

  1. 大変痛快な説明を頂き、ありがとうございます。
    まさに「戦前の資料を是非お読みください! 真実はそこにあります!」ですねぇ。

    1. 青一 さん
      いつも、ありがとうございます。
      「お前こそ、ちゃんと読んで勉強しろ」って感じですよね。
      それで不思議なのは、あれだけのデタラメをよく平気で書けるなと。
      やっぱり、まともな神経ではないのでしょうね。

  2. この方、古銭で騒いでいた時代からそれっぽい響きの謎用語を多様したり、出典が不明な謎知識をあたかも知識人の間では常識だみたいな言い方をするのでどうしても一部信じてしまう方が出るんですよね。
    私も収集仲間の何人かが信じかけてしまい洗脳を解くのにとても苦労した苦い思い出が…

    1. いつも、ありがとうございます。
      古銭の方は、全く興味が無いので知りませんでしたが、切手の方では4年くらい前からチェックしていました。
      最初の頃は、まだ大人しい書き方だったのですが、もう常識を超えて異常な書き方になってきたので、ブログでチクチクとすることにしたのです。
      全く知識が無いと、千人に一人は信じてしまうかも知れません。
      少しでも私のブログを読んで、あの異常さに気付いてくれればよいのですが。

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