特に意味はないのですが、「正月なので年賀状で何かないかな?」とガサゴソしていたら出てきたのが、この葉書。
葉書は、満州が康徳4年(1937)に発行した第5次正刷葉書であり、それを康徳5年用の年賀状として日本へ宛てたもので、極めて普通な使用例です。
消印が逆さまなので、回転させた拡大画像を下に示しておきます。
データは「黒河/5.1.1/前0-8」。
その黒河がどこかと言うと、寒い満州でも北に位置し、ソ連と国境を接する所にあります。
下図は満州全図の中からの北半分なのですが、赤の四角枠で囲んだ部分が黒河で、ここまで広域で示すとイメージ的に位置を理解しやすいと思います。
更に拡大した地図で示すと下になります。
地図の下方から黒河まで敷設されている鉄道は、満州国鉄北黒線ですが1日に区間列車も含めて3本程度しか走っておらず、そのうち哈爾浜まで行くのは夜行列車が1本のみという少なさ。
満ソ国境線であるアムール川の対岸にあるのがブラゴヴェシチェンスクで、そこにはシベリア横断鉄道から分岐した路線距離110キロの支線が来ています。
このアムール川を挟んだ黒河とブラゴヴェシチェンスクは、たったの750mしか離れていないのですが、2019年に橋ができるまでは、舟で渡るしか方法がありませんでした。
差出人の修さんと静子さんは夫婦と思われますが、治安が悪く、気候の厳しい満州北部での生活は、文面からは読み取れませんが、内地で暮らすのとは全く違った苦労が多かったのではないでしょうか。
ポピュラーな大都市からの差立とは一味違った年賀状だと思います。
満州の地理情報を手軽に調べるには、満洲建国十周年記念版『満洲帝国分省地図並地名総攬』をお勧めいたします。
全図の他に省別の詳細図が収録され、日本語読みの地名索引、郵政局を含む官公署の索引など、よほど細かいことを調べない限りは、本書1冊で十分間に合います。
まさに東海林太郎の「国境の町」の歌詞の世界ですね。冬は凍り付くような寒さでしょうし。
終戦間際のソ連侵攻では真っ先にやられたのでしょうか。引き揚げができたとしても、命がけだったと思います。
宛先は今の福井県鯖江市、越前漆器の生産地で有名ですが、昨日の地震の影響が少なかったことを願います。
満州でも満鉄付属地は比較的安全でしたが、それ以外の場所、特に北方は治安も悪く、ちょっと街から外れると匪賊も多かったそうです。
私の祖父は戦中満州配属で、戦後ハバロフスクに抑留されました。
満州からの手紙や抑留中の手紙は残っていません。
ソ連抑留者からの赤十字郵便を見ると、どんでもなく送達が遅いことに驚かされます。
それに加えて字数制限など、皆さん大変な苦労だったと思います。