今月の吉田女史からのお手紙は、浅草局の風景印でした。
ジャペックスでお馴染の風景印なので、皆さんも一度はご覧になったことがあると思います。
浅草と言えば浅草寺の雷門。
そして、夏のホオズキ市が有名なのでホオズキと目の前に見えるスカイツリーが描かれています。
下の地図は現在の浅草で、赤丸の場所が雷門。(他の地図も同じ)
今の浅草寺はかなり小さくなってしまいましたが、元々はもっと大きく国際通りの所までありました。
青線の通りが国際通りで、今は商業施設が林立する茶色の線で囲った部分も浅草寺の寺域だったのです。
つまり、今風に見れば浅草寺の西端は、国際通りに面していたことになります。
下の地図は、明治16年測図の参謀本部図からの一部分。
青線が今の国際通りで、浅草寺の寺域西端は池と広場的な空間になっており、寺域北部は浅草公園地になっています。
その広場的な空間の中にある池ですが、瓢箪池と呼ばれ戦後まであったのですが、戦災で消失した本堂を再建するために池を埋め立てて売却しています。
浅草公園地というのは、明治6年に浅草寺の寺域内に東京府が整備したもので、他に上野寛永寺、芝増上寺、深川富岡八幡、飛鳥山にも公園を整備しています。
赤丸が雷門の位置で、今の雷門通りの西にある緑丸(ここで道路が細くなっています)に注目してください。
下の切絵図は嘉永2年の尾張屋版切絵図からの一部分ですが、緑丸のところで明治16年図と同じように細くなっているのがわかります。
つまり、約30年強はこの位置が動いていないことがわかります。
この位置と、青線の現国際通りの位置関係から、最初に記したように浅草寺の寺域が今より大きく広がっていたことがわかります。
次回のスタンプショウやジャペックスにおいでの際は、ぜひ国際通りと現在の浅草寺の間を散策されて、本来の浅草寺の大きさを体験されるのも面白いのではないでしょうか。
いわゆる浅草六区のエリアですね。
しょっちゅう行きますが、あそこが浅草寺の寺域だったとは。
今日は競売の落札品が届き、開封していましたが、セロテープののりがきつく、力を入れて取ろうとしたため、エンタイアの封筒に裂け目が!やってしまいました。
不覚でした。
ボタ・ヤマエ さん
あらら・・・。
やってしまいましたね。
実は僕も似たような失敗をしたことがあります。
梱包のセロテープが、ペロンとカバーについてしまいヘゲを作ってしまいました。
郵趣手帖様
みな一度は通る道なのですね。
幸い封筒の下部だったので、切手に影響はなかつたのですが、今後は気をつけないといけません。
毎月、紹介して下さってありがとうございます。
浅草郵便局風景印で差し出したのは、土曜日営業している郵便局だったからでもあります。
浅草は子供の頃から行っている観光地ですが、歴史的な話は何も調べようともしなかったので、記事を読んで初めて知ることばかりです。本当に今年はいろいろご教示くださり、ありがとうございました。どうぞ、よいお年をお迎えください。
吉田 さん
いつも、ありがとうございます。
いただいた浅草局の風景印は、線も細くとても綺麗な状態でした。
来年も、よろしくお願いいたします。