「郵趣大学」って言ったって、「駅弁大学」(この言葉を知らない世代も多いと思いますが)の親戚ではございません。
『郵趣』1975年1月号から始まり、1977年12月号まで3年間も続いた連載記事のタイトルです。
連載は「アルバム課程」「コンディション課程」「教養課程」「専門課程」に分かれていて、郵趣の基礎が学べるよい連載でした。
僕が小学5年から中学1年に当る時期で、この連載で育ったと言っても過言ではないと思います。
リアルタイム以外にも、時期を置いて何回も読み直した記憶があります。
今から思えば、連載記事以外にも増補して一冊にまとめれば、郵趣への良い指針になったのではないでしょうか。
当時そこまで気に留めなかったのですが、現在アルバム整理の技術の一つとして普通に使っている二重座布団を一般に紹介したのは、この記事が始めてだと思います。
元々は海外の郵趣家が “re back” として行っていた技法です。
この連載、今だからこそ一言一言を丁寧に拾いながら、読む価値は十分にあると思います。
このような記事が今でも「郵趣」に毎号載っていれば、JPS退会を思いとどまる会員も
少なくなかったのでは、と思えてなりません。「郵趣」の編集方針が大きく変わってから
もう20年以上になりますが、亡くなられた水原JPS理事長が今の「郵趣」をご覧になったら
一体どんな感想をもらすのだろうか、などと考えてしまいます。
A.M. さん
いつも、ありがとうございます。
そうですねぇ。なんて言いますかね。
少なくとも、外から見ていると編集委員会が全く機能していないように見えますね。
1年経つと『郵趣』をまとめて捨ててしまう人にけっこう出会いますが、郵趣文献を集めている自分にとっては悲しい話しなのです。
悲しいのですが、保存するに値しない物と思われても仕方がないことは、よく理解できます。
JPS本体だって、船頭がいない泥舟みたいなものだと思っています。
現在の「郵趣」について、不満の声が相当に大きいことが、耳に入らないはずはない
と思うのですが、一向に改善される気配がありません。「郵趣」の編集方針を一体誰が
どのように決めているのか不思議でなりません。
私も「郵趣」を40年分以上保存していますが、ここ20年分くらいは全く読み返すこと
がなく、そろそろ処分しようかと考え始めています。
処分ですか。
もったいないですが、仕方ありませんよね。
私の場合は創刊号から揃っているので、購読をやめるにやめれない状況です。
本心では「購読中止にしようかな」なのですが・・・。
また、若干ですが「将来的に立ち直るかな?」なんて、バカな淡い期待をしている部分もあります。