今日、8月20日は歴史に興味のある郵趣家には忘れられない日だと思います。
それは、ソ連軍の樺太侵攻に伴い真岡郵便局において9名の女子電話交換手が集団自決した日。
今でも毎年、稚内では追悼式が行われ郵政関係者が出席されています。
ソ連軍の樺太侵攻は、その後に計画されていた北海道侵攻のための拠点を作るためでもありました。
樺太と北海道の位置関係は、皆さんご存知だと思いますが念のため下に示しておきます。
赤丸が真岡。
下の地図は、真岡市街図。
単色なのでわかり難いですが、ほぼ中央に上下方向に描かれているのが海岸線で、その左側が海になります。
つまり真岡の街は、海岸線に沿って細長く造られていることがわかります。
赤の四角で囲った範囲が下の拡大画像。
拡大すると、街割りもよく見えてきます。
真岡では海からの艦砲射撃があり、その後に上陸。
市街戦では、郵便局に急ぎ向かう職員(兵士ではない)が、ソ連兵に撃たれ多く亡くなっています。
真岡郵便局最大の悲劇として、電話交換手9名が取り上げられることが多いのですが、まとまった記録はないものの、断片的な記録を拾ってゆくと、この街のあちこちでソ連兵に狙撃された郵政職員の行く末を知ることができます。