川支

事故印には色々な種類があり、その表示方法のバラエティも豊かで、お値段的に痛いところがありますが、集めて楽しい分野。
数をかなり減らしながら戦後まで残るものの、なんと言っても小判切手の時代が一番多いですね。

画像は、そんな事故印で最もポピュラーな「川支」。

抹消印は、陸奥深浦局で明治22年1月2日イ便です。
リーフ上の地図では一番上の赤丸が深浦。

裏面には宛地である越前大良局の到着印が押してあり、1月14日ロ便。

そこで「川支」がどこで押されたのか?
という事ですが、ちょっとフラフラですが「様」の上に掛かるように羽後岩館局の証示印がありました。
日付は1月6日。
岩館局の位置は、地図では下の丸印のところになります。

深浦から岩館の間を、海岸線の道路に沿って測ると40キロ弱となります。
約40キロの区間を、通常行程で4日とは考えられないので、この間で川支があったことは間違いがありません。
そこで、新旧の地図を動員して調べると、笹内川以外に川支になりそうな川が無いことがわかりました。
笹内川の位置は、リーフ地図の矢印で示した地点です。

あとは、どんな気象状況だったのかわかれば言うことはないのですがねぇ。
実は、今から25〜30年程前になりますが、毎夏、深浦町に仕事でお邪魔していたので、その頃にこのカバーを入手していたならば、役場の古い日誌なども見せていただけたのに・・・。

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