瀬戸内航路

画像は、新小判2銭切手4枚を貼った書留使用例で、この4枚貼りはよく見かけます。
切手自体も後期普通紙の目打13ですから、新小判では駄物中の駄物。
一見したところ田型に見えますが、縦ペアを2組貼ったもので「田型だったらまだ良かったのに」なんて思うのですが・・・。
田型でも、探すとなると意外と少ないですからねぇ。

発データは、周防・三田尻 明治24年7月17日ロ便。
着データは、摂津・大坂 明治24年7月19日ホ便

この時期、山陽鉄道は神戸・笠岡間しか開通していませんから、瀬戸内海航路便での逓送が想定されます。
このばあい、三田尻夜発の便があり、途中幾つかの港に立ち寄りながら、翌々日の昼に神戸に着くわけで、17日発、19日着の消印とピタリ一致します。
神戸港に陸揚げされたのち大坂までは、もちろん官設鉄道で運ばれます。
大坂ホ便は午後なので、汽船からの接続とも一致しています。

瀬戸内航路」への2件のフィードバック

  1. 差出人は三田尻中関製塩売捌所と読めそうですね。
    当時の三田尻(防府市)を代表する産業です。

    1. 重山 さん
      ご無沙汰しております。
      「仕切在中」と書かれているので、取引に使う仕切書を送ったものですね。

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