昭和9年7月7日から使用が開始された横浜局の風景印。
描かれているのは、横浜桟橋(今の大桟橋ではありません)に停泊している客船と、右端には小さく横浜東水堤灯台(通称白灯台)が描かれています。
この頃の横浜港は現在とはだいぶ様子が異なることが、下の地図からわかると思います。
先ず描かれている横浜桟橋ですが、地図で円で記したところになります。
今は客船ターミナルと言えば大桟橋ですが、当時は税関桟橋と呼ばれ横浜税関が管轄する桟橋でした。
客船が利用する横浜桟橋エリアには、よく見ると鉄道が敷かれていることがわかります。
この鉄道、貨物の積荷を運ぶのはもちろんですが、船客や見送り客を東京から運ぶ臨時列車が乗り入れるためでもありました。
現在は、その一部が運河パークとなって整備されていますが、整備に伴い残された廃線跡を見ることができます。
今夏、国際展が開催されるであろうパシフィコ横浜がある「みなとみらい」地区は、以前は造船所が建ち並んでいました。
僕が小学校時代に京浜東北線に乗って横浜から関内方面へと向う時に、そびえ立つような大形船を造っているのがよく見えたものです。
そして、いつ見てもこの地区は赤錆色をした一種独特の雰囲気を持つところ。
それが、整然とした区画、おしゃれな街に生まれ変わるなんて、あの当時は誰もが想像すらしなかったでしょう。
逆に考えると、今の姿しか知らない若い世代にとっては、あの赤錆びたイメージの造船所の風景こそ想像できないと思います。