杉浦譲

今年は郵便150年。
郵便創業と言えば前島密で、どこを向いても「前島」「前島」「前島」・・・。
まるで「前島」祭り。

確かに郵便創業最大の功績者であることは間違いないので、異論があるわけではなく、ある程度は仕方がありません。
ですが、僕的には「杉浦譲にもっと日が当ってもいいのでは?」と思います。
あくまで感覚ですが、全体を100とすると前島98、杉浦2くらいの割合が世間一般だと思いますが、僕の中では前島60、杉浦40くらいですし、そのくらい杉浦が世の中で知られ、評価されてもいいのではないでしょうか。

画像は『正院本省 郵便決議簿』からの1ページで、駅逓権正として杉浦が押した決裁印が見えます。

この『郵便決議簿』は、火災による散逸が多いのですが、それでもなんとか明治3年と4年が残されています。
杉浦が前島の後任として駅逓権正に就任したのが明治3年6月、翌4年7月に浜口成則に替わるまで、駅逓のトップを務めていました。
この期間と言えば郵便創業の前後を含んでいますから、当然ながら実施に当っての数々の重要事項の決定が行われていました。
その様子を、この『郵便決議簿』で知ることができます。
郵便規則類の修正と制定。
郵便切手の印刷。
飛脚業者との取決め。
郵便取扱所の設置。
職員の配置。
消耗品や備品の調達
各地への郵便路線網の構築
などなど・・・。

『郵便決議簿』には、これらに伴う杉浦の決裁が60数件残され、これらの件名一つ一つを見て行くと実動部隊としての杉浦の姿が見えてきます。

郵便創業に対して大きく描かれすぎた前島の姿に対して、その仕事の重要性に対して杉浦があまりに小さく描かれすぎているように思われます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *