画像は、馬に喰わせる程もある極めて普通の小判はがき1銭の使用例。
消印データは、抹消印が白抜十字印「東京 明治14年1月28日ち便」で、配達印が「越前・丹生・吉江 2月6日」です。
ということは、逓送日数は9日。
で、実は今まで東京・福井間の郵便逓送について、真面目に考えたことがありませんでした。
数年前まで、三十数年間も住んでいたのにです。
知っていたのは、漠然と東海道経由だという程度。
そして、長浜または米原への鉄道開通後は、そこを経由して逓送されていたことぐらいでした。
「じゃあ、鉄道開通以前は?」
となると、実にあやふや・・・。
調べてみると、明治6年の大蔵省への届けに敦賀県(福井県)へは、「草津ヨリ木ノ本飯浦ヲ経テ 同所ヨリ越前今庄ヲ経テ」となっています。
つまり、東京から鉄道で横浜へ運ばれ、そこからは脚夫により静岡、浜松、豊橋、名古屋、桑名、草津、木ノ本、敦賀を経て福井に至るという、かなりの遠回りだったことがわかりました。
それを図に表現したのが下の地図。
上の使用例から2年後の、明治16年3月になると長浜〜敦賀間で鉄道による郵便逓送が始まりますし、明治20年には武豊〜長浜間が開通します。
きっと、この頃から大幅に逓送時間が短縮されるのでしょうね。
未整理品のマテリアルを探すと、この辺の事情がわかるかも知れません。