汽船便

JPSの鉄道郵趣研究会で、明治10年代半ばの東京から関西方面への逓送方法について、ちょっとした話題がありました。
当時の東海道で鉄道が開通していたのは、東京口では新橋・横浜間、大阪口では神戸・大津間のみで逓送方法は次の3通り。
1 新橋(鉄道)横浜(汽船)神戸(鉄道)大阪
2 新橋(鉄道)横浜(陸路)京都(鉄道)大阪
3 全行程陸路
というもの。
本来「陸路」という言葉の中には鉄道も入りますが、ここでは脚夫と馬車、人力車に限定します。

そこで、手持ちのマテリアルに何かないものかと探したところ、画像のマテリアルが出てきました。
小判はがきでは最安値、ばあいによっては百均ものの、横浜から大阪へ宛てた駄物。

これ、データが良いのです。
横浜 明治18年6月21日ロ便 → 大阪6月22日リ便。

明治18年でありながら、横浜から大阪へ翌日到着です。
横浜ロ便ということは朝便ですから、その日の午後に横浜を出帆する汽船に搭載されて、翌日夕方に神戸に入港。
その後、ただちに鉄道で大阪へ運ばれ、夜に大阪局に到着。そしてリ便を押印。
リ便は、その日の配達が終わってしまった後に押されるものなので、実際は翌日、このばあいは23日の早朝(5時半)に配達されています。

鉄道が全通してしまえば、このスピードは驚くほどではないのですが、まだまだ陸路逓送全盛のこの時代に汽船と鉄道を組み合わせたこのスピードは驚異的。
飛脚の時代がついこの間だったことを思えば、「郵便ってすげーな」と思った明治人も多数いたのではないでしょうか。

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