画像は、新小判2銭のリーフから、多度津ボタ印の使用例。
縦ペアが上下2ヶ所に貼られているのですが、一番上の切手の上辺が開封時に破損しているのが、残念と言えば残念。
まぁ、これでも僕のヘタレコレクションには十分って感じですが・・・。
データは、
多度津 明治21年3月18日ロ便
大坂 3月19日ハ便
で、大坂の印色は茶。
貼付切手は、もちろん後期普通紙の目打13。
ご存知のとおり、多度津のボタ印は明治18年1月に使用を開始した第2次使用局ですね。
第2次使用局は多くて21局あるのですが、鏡字と多度津局を除けば集めるのは比較的容易な局が集まっています。
というよりも、多度津局だけが異様に高い。
この辺の事情は戦前には意識されていなかったようで、吉田一郎氏による「拇太消印の話」では触れられていません。
戦後、小松盛夫氏は「大型拇太消交換比率」を発表し、この中で「C級(入手やや困難)」としたグループに多度津を位置づけています。
同グループには、多度津のほか、兵庫、松江、青森、大分、松山、神奈川、浦和、水戸、水戸上市、山口、姫路、松本があります。
『切手趣味』昭和35年4月号には「拇太印の評価」が掲載され、「C級(入手やや困難)」としたグループに、多度津を入れています。
このグループは兵庫、山口、高田、浦和、水戸、松本、長浜、千葉、姫路、神奈川、甲府、盛岡、津、松山、松江を加えた16局となっていますが、基本的な方法としては前記の小松氏の延長上にあるものと言えます。
こうしたグループ別に対して、絶対評価を行ったのが昭和37年3月の『KANAI STAMP RADAR』に掲載された、天野安治氏による「ボタ印の評価」です。
その中で多度津にはカバーで8000円の評価をしています。
この評価以上のものとしては、根室が13000円、那覇が12000円、宮崎が11000円、尾道、札幌、水戸上市、若松が10000円、佐賀、高松、鳥取、奈良が9000円、多度津と同評価には丸亀があります。
こうしてみると、第2次使用局の中で多度津のみを突出した評価としたのは、昭和37年の「ボタ印の評価」以後であることがわかります。