1991年4月27日の第54回JPS特別オークション。
「玉六のヨ」が、公開オークションで初めて競売にかけられた日です。
朱消ではあったものの、センターがしっかりとしていて、当時知られていた中では、最もコンディションの良いものだったように記憶しています。
カタログの説明文だけでは不足していたので、別添に1枚のペーパーが追加されています。
それが下の画像で、表は連合の鑑定書。
「この切手については、資料不足につき判定不能です。」の見解が記されています。
そして裏面が下。
スタート値の設定理由や、鑑定書の「判定不能」意見についての扱いなどが記されており、たかだか1枚の紙ですが資料的に重要な役目を果たしています。
結果は、最低値350万円に対して、落札値は825万円。
僕は実際にその場に居たのですが、意外と呆気ない幕だったことをハッキリと覚えています。
当時のカタログ値が3000万円でしたから、開始前は1000万どころか2000万円近くまで行くのではないかと、他人が払うお金ですから期待が大きかったのです。
しかも、その年の秋には東京で国際展も控えていましたからね。
それまでも数百万円で落札された場には居たことがありましたから、ぜひ1000万円超えを初体験してみたいと・・・。
ところが、競りはアッという間に終わってしまい、1000万にも届かない。
本当に「えーっ!これで終り〜」とかなりの落胆。
絶対に忘れられないオークションというのがあります。
このオークションと、もう一つはカメリアの最終オークション。