手元に、昭和30年代から平成に入る頃までの、6万カットにのぼる鉄道写真があります。
北は北海道から南は九州。
更には海外の鉄道までも含んでいるもので、ある故人から生前に「なにかのお役に立てば」と譲り受けたもの。
この写真の凄いところは全ての記録が残っていて、何年何月何日にどこで、何を撮影したのかという撮影データが残されていることで、場合によっては撮影地の略図に、どの方向から撮影したのかという事まで書かれていること。
そうした撮影ノートが30数冊残されています。
その中に、たまに画像のような郵便車が入っています。
この写真は、昭和43年8月24日に名古屋駅で、鹿児島発東京行きの急行「霧島」号を撮影したもの。
写っているのは、オユ11形式のファーストナンバーの車両です。
調べると「霧島」号に連結された郵便車は、上りは鳥栖から東京で、下りは東京から熊本。つまり連結区間が上りと下りでは違うのですね。
ということは、熊本まで行った車両は、どうやって鳥栖まで戻っていたのでしょう??
僕としては、ちょっとこの辺の車両運用と係員のやり繰りが知りたいですね。