駅逓寮厩

下は、1970年発行の「国際文通週間」切手で、三代広重「東京府下名所尽 四日市駅逓寮」を題材としたもの。

そして、こちらは1985年発行の「前島密生誕150年記念」切手で、背景に用いられたのは「東京開華名所図絵 四日市郵便駅逓寮」。
こちらも三代広重画で、似ていますが「文通週間」とは別々の錦絵です。

この2枚の錦絵には、駅逓寮の玄関前を馬を利用した郵便逓送の様子が描かれています。
「国際文通週間」の方には馬に跨がった集配人と思わしき人が、「生誕150年」の方では1頭立ての郵便馬車がそれぞれ描かれており、明治初期の郵便逓送には馬が重要な役割を担っていたことがわかります。

当時の駅逓寮が江戸橋際にあり、現在では日本橋郵便局が建っているのは皆さんもよくご存知のはず。
下は明治9年の『東京全図』から駅逓寮の部分を抜いたもので、江戸橋と駅逓寮の位置関係がよくわかるかと思います。
蛇足ですが、現在の江戸橋は本図の橋の西側に付け替えられています。
それで、この図で注目してほしいのが青枠で囲ったところ。
地図中に「駅逓寮厩」って書かれていて、平面積は駅逓寮より広そうです。

現在の地図で位置関係を見ると下のようになります。
日本橋局の道路を挟んだ東側、そこには明治時代以来(江戸時代は川沿いの町家区画)の細長い区画が現在にも踏襲されていて、小さなビルが何棟も建っているようです。

今までに、いろいろな文献で「駅逓寮は、現在の日本橋局の所にあって・・・」という主旨の記述が見られましたが、厩について言及したものは見た記憶がありません。
上で見たような錦絵や『郵便現業絵巻』において、馬が描かれることは多いのですが、よく考えると「そう言えば、馬ってどうしてた?」なんて思うことがあります。
もちろん、馬が餌を食べ、休む施設がどこかにあるのは常識的にわかってはいたものの、具体的に語られることは無かったように思います。
と言うことで、皆さんが一番よく知っていて、場所も特定しやすい駅逓寮を例題としてご紹介したしだいです。

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