中尊寺金色堂

岩手県平泉町に所在する中尊寺。
中でも金色堂は超有名なので、中尊寺のことは知らなくても「金色堂だけなら知っている」という方がいらっしゃると思います。

今では、中尊寺を含む一帯が世界遺産に指定されたことから多くの観光客で賑わい、便益施設なども綺麗に整備されていますが、以前の鄙びた情景を知る者にとっては、いささか俗っぽくなりすぎた感じがします。

郵趣の世界でも、金色堂は度々登場しています。
古くは下の風景印。
昭和6年8月1日に使用開始されましたが、本土での風景印の使用開始は同年7月10日が最初なので、平泉局は早い段階での使用開始と言えます。
この印は切手デザイナーとして有名な加曽利鼎造氏の作品です。

次いで下の画像は、皆さんも良くご存知の第1次円単位切手の20円で、昭和29年1月20日の発行。
20円切手の図案として金色堂を選んだ背景には、昭和28年4月に東北郵趣連盟から金色堂に因む切手の発行依頼があったことから候補の一つに選定し、数々の検討の結果から図案に採用された経緯と経過が、『切手』昭和29年1月3日号に詳しく掲載されています。
原画は、吉田豊の作品です。

下の画像は、川瀬巴水「平泉金色堂」。
巴水は、昭和32年11月27日に胃ガンのため亡くなっており、「平泉金色堂」の作品は最後の作品として有名。
巴水の日記から、亡くなる年の5月3日に原画の下書きを始めていることがわかりますが、現地での写生が昭和9年9月13日に行われたことが、残されている写生帳から知ることができます。

風景印、切手、巴水ともにほぼ同じ構図で描いていますが、これは現地に行くとわかるのですが、地形的な制約からこの構図しか描けないという事情があります。
また、これもよく勘違いされることなのですが「金色堂」とする作品ながらも、実際は金色堂そのものではなく、金色堂を保護するための施設である覆堂を描いたものなのです。
ですから金色堂本体は、この建物の中に入っているわけですね。
今、現地に行くと1965年に作られた新しい鉄筋コンクリート製の覆堂に入っているため、上記とは異なる風景になっています。

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