トラック島

画像は、図案改正楠公葉書のトラック使用例で、データは昭和17年4月15日。
宛地は山形市。

南洋エリアの郵便局の消印は、局名がカタカナで、櫛型印はC欄が「郵便局」。
そして本土とは違った雰囲気を出している風景印など、どれもに大きな魅力を感じます。

南洋の郵便局については、各種記事で小学生の時には知識として知っていましたが、ある時(高校生頃?)郵便局名が示す「トラック」が島名としては存在しないことを知り、ビックリ仰天したことがありました。
それまでは、局名である「トラック」はトラック島にある郵便局のことだと、ある意味で勝手に勘違いしていたのです。
だって、皆さん「トラック島」って普通に呼んでいましたからね。
そういうのを聞いていたら「トラック島って島があるんだな」って、子供だったら思っちゃいます。

そもそも「トラック島」とは、「トラック諸島」(今で言うチューク諸島)全体を指す言葉で、諸島内にある主要な島々には下記の地図で示す名前が付いていました。

その中で、一番の中心となったのが夏島で、地図で赤丸で囲った島になります。
上画像の葉書の差立人欄には「南洋トラック島夏島」と記されており、差出人も夏島に居たことがわかります。

当時の様子を知るには、地図が最適な資料なのですが、実はこれが難しいのです。
色々と探したあげく、下の画像の地図を二十年近く前に入手。
旧島民の皆さんが集まって、記憶を辿りながら作ったものです。
描かれているのは夏島の中心部ですが、これにはちゃんと郵便局まで書き込まれており、下の画像では私が赤く加筆しました。

下方が海ですから、山の斜面を利用して街を作ったことがわかり、郵便局は街を見下ろす高い場所にありました。
この郵便局は、昭和19年3月17日の空襲で焼失してしまったので、4月15日に廃止となり、18日に業務を終えています。
ちなみに、開局は大正11年4月1日。

上の地図では、夏島の中心部しか描かれていないことから、夏島のどの部分かわかりませんね。
僕も最初に見た時には「いったいどこ?」でした。
それを解決するために見つけたのが、米国国立公文書館に保存されているトラック諸島の報告書。
これには詳細かつ正確な地図が添付されており、下の画像の赤丸の部分が上の地図の採録場所であることがわかりました。

米国国立公文書館 “Joint Intelligence Center, Pacific Ocean Areas” April 1944より
赤丸は筆者加筆

この地図には島内の主要施設が掲載されているのですが、トラック郵便局は終戦を待たずに閉局されていたため、全く載っていません。
もし、終戦まで郵便局が残っていたとしたら、もしかしたら本報告書に掲載されていたかも知れませんね。

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