風景印・豊島局

昨日、吉田女史からの定期便が到着。
今月は、豊島局でした。
よくよく考えると、毎月やって来るので「風景印頒布会」のようでもあります。
いつも、ありがとうございます。

桜の花の変形印の中には、千登世橋、東京都電荒川線、ススキミミズク、ツツジが描かれています。
この中で、中心に描かれたのが千登世橋。

この橋、一般的には「千登世橋」と一つの呼び名で呼ばれていますが、正式には風景印の左側(ススキミミズクの後ろ)に描かれている橋が「千登世橋」であり、風景印で都電荒川線の上を通っているのが「千登世橋小橋」。
橋の完成は昭和7年。

下の地図は、橋が完成する前の明治42年測図の地図に、関係ヶ所を書き加えました。

皆さん、よくご存知の「切手の博物館」は赤丸で、「目白台地」と記入した場所が今でも動いていない学習院です。
目白駅の交差点から学習院の北辺を走る道路が、今で言う「目白通り」。
そして、その先にある赤丸の場所が、後に風景印に描かれた千登世橋が架橋される位置になります。

この地図のミソは、千登世橋を挟んで目白台地の反対側に「関口台地」と書き込んだところにあります。
そうです。
千登世橋は、目白台地と関口台地に挟まれた細い谷を渡るために作られた橋。

いま、この橋の下には明治通りと都電荒川線が走っているわけですが、その位置は谷底というわけで、以前には荒川線沿いに湧水路があったそうですから、関口台地の崖線から地下水が湧き出ていたのでしょう。

今の地形図を見ても都市化が進んでしまっているのでわかり難いのですが、古い地形図を見るとコンタがきちんとまわっているので、本来の姿を知ることができ興味深いものがあります。

風景印・豊島局」への2件のフィードバック

  1. 楽しい風景印をありがとうございます。奇しくも同日、震災展の二日目に「切手の博物館」に向かう途中、今や日課となっている散歩よろしく目白通りをそぞろ歩いた橋名の表記にあったのが千登世橋で、明治通りってずいぶん下を通っているのだと感じたところです。正に一見に如かずの心境で勉強になりました。

    1. いつも、ありがとうございます。
      東京に来ても散歩とは、さすがの根気です。
      切手収集と古地図は、意外と親和性があるので、僕にとっては必需品ですね。

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